ソクラテスと雄弁術
ソクラテスが、当時力を持っていた、ソフィストと対立していたことは、多くの教科書などに書いてあります。そこでのソフィストの扱いは
ソクラテスを死刑に追いやった
と言う風に、悪役です。
確かに、プラトンの著作から見ると、ソフィストのご都合主義などが見えて、好ましいとは思えないです。
しかし、ソフィストの「雄弁術」について、もう少し考えると、別の見方もあります。つまり
聞き手に分かって貰う努力
をしたか?
と言う観点です。確かに「対話篇」では
相手に応じた議論
が進められています。
それでも、私が違和感を感じるのは、ソクラテス達の
対話相手に対して
上から目線で言う
傾向です。ソクラテスやプラトンは
哲学者だけが真実に近づく
と言う発想です。
これを、仏教のお経と比べて見ると、仏様には
人を見て法を説く
方便
姿勢がしっかりと伝わります。もう少し言えば、法華経にあるように
如我等無異
我が如く等しくして異なること無からしめん
と、仏様の力が私達にもあると考えます。その上で
人それぞれの事情を考慮し
解って貰えるように方便を尽くす
努力をしています。
この違いを、明確に意識して、西洋文明に対応することが必要です。
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