古事記と日本書紀の関係
昨日も書きましたが
和魂:古事記
漢才:日本書紀
について、天地開闢の記述で考えました。
古事記では
天地初めに発こりたる時、高天原において神成りまし名は天之御中主の神、
次に高御産巣日の神、次に神産巣日の神、この三柱の神は並びて独り神と成り坐しててしかるに 身を隠す
次に国が稚く 浮うかべる あぶらの如くして くらげなす ただよへる 時に、あしかびのごと もえあがる 物に因りて 成りませる神の名は、
うまし あしかび ひこぢの神。次にあめのとこたちの神。
この二柱の神また独り神成り坐してすなわち身を隠しませり也
上つくだり五柱の神は別天神なり
次に神成り名は国之常立の神 次に豊雲野の神この二柱の神また独り神成り坐しすなはち身を隠す
<古事記終り>
ここでは
水に浮いた油
というイメージで、主要な神の出現が描かれています。
つまりこれが
日本の魂が見ていた天地開闢
でした。
さてこれが日本書紀になると
昔、まだ天と地が分かれておらず、陰陽の別もまだ生じていなかった時、鶏の卵の中身のように固まっていなかった中に、ほの暗くぼんやりと何かが芽生ていた。
やがてその澄んで明るいものは、昇りたなびいて天となり、重く濁ったものは、下を覆い滞って大地となった。
澄んで明るいものは、ひとつにまとまりやすかったが、重く濁ったものが固まるのには時間がかかった。
それゆえ、まずは天が出来上がり、大地はそのあとで出来た。その後、そのなかに神がお生まれになった。
それで次のように言われる。
天地が開けたはじめに、国土が浮き滞っている様子は、例えて言えば、泳ぐ魚が水の上の方に浮いているようなものであった。
そんな時に天地のなかに、ある物が生じた。形は葦の芽のようだったが、間もなくそれが神となった。
国常立尊と申し上げる。
<日本書紀引用終り>
と、陰陽などの知識で、当時としては、陰陽の理論を用いて、それなりに説明されています。
これが、漢才の働きです。なお、上記で見れば
陽:理論的に明快な漢才 澄んで明るい天
陰:色々まじりあっている和魂 濁った大地
という考えもあります。
理論が先にできるか、イメージが先かは、議論が分かれるが、まとまりやすいのは、(澄んだ)理論が先行するでしょう。それまで、もやっとした和魂のイメージがあったが、それがまとまるには「漢才」が必要だったと思います。
ただ和魂も漢才も、それだけで完結せずに、相互の作用で、成熟していったと思います。