比喩の前提に平等性智
先日書いた
異文化でも使える比喩|鈴木良実 (note.com)
に関連して、大乗仏教の立場で、もう少し考えました。
大乗文教では、仏の智慧として
前五識は成所作智
意識は妙観察智
末那識は平等性智
阿頼耶識は大円境智
これらを統括する法界体性智
という五つを考えます。私達が「理性」として考えているのは
妙観察智の意識
の上で考えています。しかしながら大乗仏教では
今までの経験が全て入る阿頼耶識
の上で働く大円鏡智
や
他の人の自我を認める
平等性智
を考えます。
私は、この「平等性智」が、多様な比喩を考えるために、重要だと思います。
つまり
西洋文明の普遍性
ではなく
多様なあり方を平等に認める
発想から
相手に合わせて法を説く
ようになるのです。
これは、一部の学識者にある
これが解らないのお前が悪い
と言う考えではなく
人それぞれに事情あり
と言う考えです。
しかも、仏の智慧は
全てを我が有
衆生は吾が子
ですから
相手の立場への思いやる
力があるのです。
この力があると、比喩が自由に使えるでしょう。
なお、仏の智慧に関しては、前に書いた
仏の五つの智慧|鈴木良実 (note.com)
を見て頂ければ幸いです。