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観無量寿経を現在に活かす
私が「観無量寿経」を読んだ理由の一つは
メディア充実の現在で
瞑想の意味
を考えるためでした。つまり
画像どころかAV情報が充実した状況で
自力で想像する必要があるか
と考えていました。しかし、これに対しては
粗見大地
と言う言葉で、見事に打ち砕かれました。つまり、外見だけ「粗く見る」のではなく、集中すると微細な部分も観ることができる、と言う教えです。
なおこれに対して
ゲームのようにその世界に入れば
好きなように細部が見れる
と言う反論もあるでしょう。これに対しては
無量寿仏の巨大な真の姿を観る
と言う観点で
私たちの知恵の限界を超える
モノとの向き合いが出てきます。このように考えると、現在の学問知識の限界も見えるようです。
さて、こうした定善の13観法は、とても凡人には出来ません。そこで、散善の3観法では、私たち凡人でも極楽往生が出来ると教えてくださいます。
ただし、こうした阿弥陀様の迎えによる救いも、それまでの極楽浄土や無量寿仏の、私たちの知恵を越えたモノを知っていると、深く喜ぶことが出来るでしょう。
昔は、当麻曼荼羅などで、阿弥陀様の救いを説いていました。今の優れたAV環境を使いこなして、多くの人を救うことが、現在の仏教には必要ではと思います。