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理趣経の大きな欲

真言宗で、大事なお経としている「理趣経」は、その一部だけを切り取り

性欲肯定

等の危険なお経という人もいます。確かに、このお経にはそのような面もあり、お寺でこのお経を唱えるときは普通の呉音でなく漢音で唱えます。

しかし、理趣経の本質は、終わり近くにある百字の偈にあります。

<百字の偈>
菩薩勝慧者 乃至盡生死 恒作衆生利 而不趣涅槃
般若及方便 智度悉加持 諸法及諸有 一切皆清浄
欲等調世間 令得浄除故 有頂及悪趣 調伏盡諸有
如蓮體本染 不為垢所染 諸欲性亦然 不染利群生
大欲得清浄 大安楽富饒 三界得自在 能作堅固利

この意味を、金剛界曼荼羅の理趣会を見ながら、考えて見ましょう。

まず、最初の四句は、金剛薩埵の菩薩の境地です。これは、理趣会の中心ですから、全てを含む法界体性智を示します。

菩薩は勝れし知慧をもち、なべて生死の尽くるまで
恒に衆生の利をはかり、たえて涅槃に趣かず。

つまり、金剛薩埵は菩薩として、悟りを開いているが、全ての衆生が救われるまで、涅槃の境地に行かないという覚悟です。

次の四句は、欲金剛といわれますが、理趣会の東方に位置するので、大円鏡智を表しています。

世にあるもの[=方便]も、その性[=般若]も、智慧の度ばぬものはなし。
もののすがた[=有]も、そのもの[=法]も、一切のものは皆清浄し。

全ての物を、鏡に映すように素直に見れば、全てが清浄と見える、これが大円鏡智です。

次は、触金剛ですが、南ですので平等性智を表します。

欲が世間をととのえて、よく浄らかになすゆえに、
有頂「天」もまた悪も、皆悉くうちなびく。

これは、形あるモノの最高峰である有頂天から地獄などの悪趣まで、全てのモノの中に、この教えに従う清浄な力を見いだします。場合によっては、魔障を打ち砕く力を発揮します。なお、平等性智には、全ての物に価値を見いだす力です。地獄にも仏を見る、こうした見方も必要でしょう。

次は、愛金剛ですが、西方ですので妙観察智です。

蓮は 泥に咲きいでて、花は垢に染されず。すべての欲もまたおなじ。
そのままにして人を利す。

泥中の蓮を見いだすように、欲の良い働きを見いだす智慧を示します。

最後は慢金剛ですが、北ですから成所作智、つまり実現する力です。

大いなる欲は清浄なり、大いなる楽に富み饒う。
三界の自由身につきて、堅くゆるがぬ利を得たり

皆がよくなるという、大きな欲を持つ。これは清浄であり、全てに自由に働く大きな力です。

このように、理趣経では

全ての人を善くする
大きな欲の力

を説いているのです。単純に

欲なら性欲
または
金銭欲

と言う発想ではありません。

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