皆がよくなるように願う
私達の神仏へのお願いは、本来は以下のような手順で行います。例えば、稲荷大神を拝むなら
自らの身と心を浄めよこしまな願いを排除
稲荷心経で貪瞋痴の煩悩を除きこの国全体がよくなるように祈る
伊勢の内宮・外宮の祝詞でこの国の安泰と五穀豊穣の繁栄を願い自分が努力することを誓い支援を願う
稲荷祝詞で努力に対する支援を願いこの成果が広く行き渡るように願う
稲荷大神様の力で皆がよくなる世界を瞑想
しています。このように
皆がよくなれば自分もよくなる
自分が努力するから神仏の助けを願う
という考えが、自然に出来るようになれば、SDGsが実現すると思います。
さて、アメリカ式の「市場主義」では
自分の利害を声高に主張
市場原理で淘汰し適者生存
と言う発想があります。こうした「自らの利害だけという狭い見方」しか出来ない理由に、信仰の違いがあると思います。つまり
キリスト教等の発想は神の力は到達不可能
古代ギリシャの哲学者プラトンの「洞窟の比喩」大乗仏教は衆生にも仏の智慧があると信じる
法華経などが示す「皆に仏性あり」
の違いです。ですから、西洋文明には
完全なモノは人間には出来ない
と言う諦めがあります。
しかし、日本には「XXの神様」という、名人芸を持った人が多くいます。そこでは
関わりある全てを良くする力
世界を創造する力・広く全てを見る力
が、人にあると信じています。そこで
関わりある人は
現在だけでなく過去も未来も!
と言う、「持続可能性」の発想が出てきます。例えば、家で使用した水が、下水管に流れていきます。しかし、これで終わりと見るのではなく、下水処理場で浄化されていく状況をイメージします。そこで働いている人の苦労を、少しで楽にしたいと思うでしょう。またこの水が循環して、川や海に帰り、魚や海藻がその中に生きる。それらを、私たちや、子孫はまた食べるのです。
また、水道設備を作った、昔の人の働きを想像したり、山や森なども含めて、水資源を守った人を想像したりすると、自然と感謝の心が生まれるでしょう。
このように、広く見ていくと、自然な思い遣りと感謝が生じます。
こうした
広く見ることで
自分だけよければという狭い欲を
皆がよくなるようにと言う大きな欲にし
まず国の安泰を願い
自分が努力するから支援を
と言う祈りの心が、現在には必要ではないかと思います。