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源氏物語ー融和抄ー源高明

 次に取り上げるのは源高明、醍醐天皇の第十皇子です。紫式部にとっては、世代的にも一番近い貴公子だったかもしれません。
 歴史の中でも人物を追うのが多い私ですが、何故か高明を詳しく追ったことがありませんでした。光源氏のモデルのひとりであることは知っていたので、何度かさらっと見たことはあったのですが…
 今回書くにあたって少し調べてみたところ、やはりここにもゴロゴロと、とっておきの秘密が眠っている感じです。ここは堀り甲斐がありそうな予感なのですが、当初の予定通り今回は撫でるくらいで留めておこうと思います。

 私が感じるのは、物語の冒頭のモデルはこの方だったのではないか、ということです。
 高明の伝えられる様子は、顔形よく、非常に賢く、宮中行事やしきたりなどに明るかったというものです。有職故実・儀式をまとめた『西宮記』を記しています。臣籍降下した後も、しっかりとした後ろ盾があり順調に出世しますが、それがなくなると共に政変に巻き込まれ太宰府へ左遷されてしまいます。罪が許され帰京した後は隠遁生活をおくり、そのまま亡くなりました。

 高明について印象深いのは人相占いの話で、「これまでに見たことがないほどの貴相だが、背中を見ると左遷の禍を受ける相がある」と言われたといいます。実際左遷されているので、その様になったということになります。

 『源氏物語』の中でも、桐壺帝が光源氏を観相させる場面があります。これは高明の逸話を元にしたものだと思いたいところではありますが、当時は跡継ぎなどの問題にあたって、人相で占うことは珍しくなかったのです。中国の古い歴史書にも、日本においてもそのような逸話は残されています。
 それらをいくつか読んで考えてみるのですが、この当時の観相は、今でいう統計学的な人相占いではなかっただろうと思います。いわゆる、霊視に近いもの、いや、霊視と言ってしまっていいものかと思います。ですので、当時にしても、誰も彼もが占えたわけではなかったであろうし、天皇の継嗣を左右する皇子のものだからこそ、利害の発生しない高麗からやってきたよく見る(当たる)占い師の所へ、わざわざ身分まで偽って見せにいくという設定になっているのでしょう。

 しかしその結果は「どういう訳だか、帝になる相がある。しかしそうなると国が乱れる。といって、臣下でおさまる相でもない。」といった非常に複雑な結果が出るのです。類い稀な貴相であるのに禍もある、というところは高明とよく似ている部分です。
 さらに驚くのは、特筆することもなく、この予言を成就させているところです。桐壺帝はこの予言を受けて仕方なく臣籍降下させることを決めます。そして先述したように、様々に浮き沈みしながらも栄華を極め、臣下でありながらまるで天皇のような暮らしをおくります。そして、表向き兄弟で実は実子の冷泉帝から譲位を持ちかけられますが、それは恐れ多いと断ります。そして、「太上天皇になずらふ」お立場になります。天皇にならずして、上皇に準ずるお立場ということです。帝になれば国が乱れるという禍を上手に避けた上で、貴い部分をしっかり際立たせたわけです。この辺は今回おさらいして、私自身が認識し直した部分です。この物語は本当によく作られたものだと思います。

 最後にもうひとつ、この高明の段に書いておきたいエピソードがあります。
 桐壺院が亡くなり一年ほどが経った頃、政治の流れはすっかり右大臣側へ移り、光源氏や左大臣側は徒然に学問や遊びをして過ごすのでした。そんなある日、音楽を楽しみ和歌を詠んだりしてお過ごしになる中、詠まれた歌は光源氏をもてはやすものばかり。光源氏は少し調子にのったものか、中国の歴史書『史紀』から、「文王の子武王の弟」と周公旦の名告りを朗誦します。
 これは、「我ハ文王ノ子、武王ノ弟、成王ノ叔父ナリ。我天下ニ於テ亦賤(またいや)シカラズ」に倣ったものですが、続けて紫式部は、成王の叔父の部分は東宮の何だとおっしゃるつもりか、まさか実子と言う訳にもいかないのに、と冷やかし半分で書いています。

 昔読んだ時には、こういう細かいところに気づかずにいました。
 周公旦というのは、古代中国で殷を滅ぼした周という国の初代武王の弟です。大変に優れた人物で、あの孔子が崇拝していて、晩年になったら周公の夢を見れなくなったと嘆いたということです。そして、周公旦もまた光源氏のモデルと言われるひとりでもあります。

 また、礼学の基礎を形作った人物とされ、周代の儀式・儀礼について書かれた『周礼』、『儀礼』を著したとされます。
 源高明も有職故実・儀礼の書物を記していることを含んだのかどうかは、紫式部のみぞ知るところですが、こういうところが彼女のセンスなのだと思います。

 そして、孔子も尊敬した周公旦の名告りを光源氏に朗誦させた、そこに紫式部の思想が込められているのだと思います。光源氏の人物像には儒教思想が影響しているのですね。

 今回はこういうことに気がつけて、私自身が『源氏物語』を見る目が少し変わりました。それは昔からこの物語の良さを分かっているつもりだったのですが、思う以上に優れた作品だったということです。
 煌びやかな設定が一人歩きするようにイメージは定着され、ささやかなスパイスは読み流されていた。他の誰でもなく、私自身が。こういう部分にこそ光を当てて欲しい。紫式部という女流作家を今一度見直す時にあるのだと思います。


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