源氏物語ー融和抄ー山吹の咲く頃に
若紫のことを、もう少しお話ししておきたいと思います。
昔読み通した頃には全く気にとめていなかったことが、紫の上の幼少の頃の様子を描く、紫式部の目線の柔らかさです。
今回読み直すと、その描写の中に顕われる、くすぐったいような爛漫さ、それが愛おしくてたまらない様子が胸に迫ってくるのです。
それが不思議で、書き進めながらもずっと心の中にひっかかっていたのが、ある日突然こう思ったのです。
娘の大弍三位(本名:藤原賢子)の幼い頃を描いていたのかと。
紫式部は案外光源氏の行いに対して辛辣な合いの手を入れている時があるのですが、どうにも幼い紫の上の描写だけはとにかく眼差しが優しい気がして仕方がなかったのです。
そうか、そうだったのか、と思うと、その疑問が綺麗に晴れて、私の脳裏に物語の一場面が回り始めます。
山吹色の着物を来た活発な女の子が、息を弾ませて顔を覗き込んでくる。
きっとその目はまんまると愛くるしく澄んでいて…
紫式部はきっと思ったでしょう。
ずっとこうして一緒にいたいと。
野の桜は散るも、山の桜は未だ名残を見せる頃。
山吹の黄色が彩りを加える、ちょうど今、現代でいえば四月中旬頃に、光源氏と紫の上は出会ったのでした。
武蔵野を埋める紫の、大切なゆかりある女の子に。
源氏物語が想像以上に、あまりにも奥深くて…横槍も感じつつ、この先も文字にしないまま胸に秘めておくことが多々あるでしょう。
人々がその全てを受け止められる時、新しい時間は流れはじめる。
その時を今しばらく待っていましょう。
「雀の子を、犬君が逃してしまいましたの。伏籠の中に入れておいたのに…」
今朝は鳥達の歌がにぎやかに聞こえ、目が覚めました。