源氏物語ー融和抄ー五十四帖に秘された世界②
語り手によって様々な印象を与える『源氏物語』ですが、それとは全く無関係だと思っていた、ある書籍に目を通していた時のことです。索引の表を見ていると、目が止まる人名の数々。もしや?と期待は高まり、その索引を引き続けた結果、期待は確信に変わりました。
その本は、福岡県、現在の那珂川市に伝わっていた伝承をまとめた『儺の國の星』、著者は真鍋大覚。その伝承の実態は、物部氏あるいは安曇族という古代氏族に関わっていたものであろうとされています。
いくつかの項目を読んでいると、『源氏物語』の中で紫式部が言葉には顕さず伝えようとしているニュアンスと同じものが書かれていると感じられました。
そうして改めて考えてみるとなるほど、紫式部もそれらの伝承を得て知っていたのかと理解したのです。ですから端々にその一端が伺え、分かりやすいものでは、それらの氏族が信奉する住吉の神の導きで開運していく様が描かれていくわけです。
それは紫式部だけが特別に知っていただけでなく、もしかしたらそれ以前には稀少な伝承としてではなく、常識的に語り継がれていた可能性もあります。
真鍋大覚も著書の中で、清少納言の『枕草子』を引き合いに出し、その頃には既に、星の名が随分湾曲していただろうと考察しています。
プレアデス星団を昴と呼ぶことが少なくなった頃には、僅かな人のみが伝える伝承となっていったのでしょう。
新バビロニア王朝(カルデア王朝)が暦制で定めたサロス周期とは、日食、月食が起こる食の周期のひとつで、同じ食が場所を変えながら十八年サイクルで起こるというものです。
サロスとは元々シュメール語で三六〇〇を意味し、それがギリシャ訛りになったもの。三六〇〇といえば、惑星ニビルが太陽系と交差する周期が想起されます。ニビルが接近すると、文明が大きく発展するとも言われています。
サロス周期十八年を三倍した数が五十四となりますが、ある系統の倭人の中では、還暦六十歳よりもこの五十四歳の方を、一生涯の生命生活の一区切りと考えてきたと真鍋大覚は述べ、この五十四年の概念を、『源氏物語』や井原西鶴の『好色一代男』の七歳から六十歳の女人遍歴の中に伺うことができるとしています。
観音菩薩が降臨する霊場を補陀落といい、そこではすべての者の願いを聞き、救いの手を差し伸べるとされていました。仏教では、西方阿弥陀浄土と同様に、南方にも補陀落浄土があり、華厳経によれば観自在菩薩の浄土であるとされます。
浄土信仰が広まる中、民衆を浄土へ先導する為に、修行を積んだ僧が渡海船で南方沖合へ出る捨身行である補陀落渡海は、元々伊勢にあった南海の常世信仰とあいまって、熊野で多く行われていきました。
渡海船上には四角い船室のようなものが作られ、三十日分の食料や行灯用の油を積み、行者が入ると外から釘を打つため、中からは出ることができなくなります。そしてその四方には小さな鳥居が作られました。渡海船が出帆した那智湾には弁天島が浮かんでいます。
物語最後のヒロインに浮舟という名をつけ、随所に観音信仰を絡めた背景には、この補陀落渡海があったと思われます。
浮舟の頑なさを思う時、
“女人の極楽往生を願い、その先導を浮舟に託した”
そんな思いが紫式部の胸の内にあったのではないかと……きっと私がそう思いたいのです。