見出し画像

ロックスターが27歳で死ぬ理由が分かった気がする。

人生で初めて「死にたい」「消えたい」という感情が湧いたのは、16歳くらいだったと思う。高校生で鬱病になり、学校にも元気に行けていなかった時期。まだ世界の広さを知らなくて、学校だけが自分の社会で、その小さな社会に馴染めなかった。

最初は「明日学校行きたくないな」だった感情が、どんどん「死にたい」とか「消えたい」に変わっていった。屋上に立てば飛び降りることを考え、駅のホームに立てば飛び込むことを考えた。交差点を通る車が私を轢いてくれればいいのにと思ったし、寝ている間に誰かが殺してくれればいいのにとも思った。

そのあたりからだろうか、私は普通の人よりも、"死に近い場所"に住み着いてしまった。

辛かった高校を卒業して5年以上が経つが、未だに私の中にある"死への感情"は消えてくれない。

特に鬱病から躁鬱へと診断が変わってからのこの数年は、「死にたい」ではなく「死んでしまう!」へと感情が移り変わりつつある。

辛いことや悲しいことにぶつかった時、いつも死ぬことが選択肢に浮かぶ。たぶんこの時点で、健常な人の感覚とは違うのだと思う。だけどそれほどまでに私の心に住み着いた"死への感情"は根が深いのだった。

高校生の頃は、死にたいとは思っていたけれど、自分が実際に死んでしまう所を想像するのは難しかった。それなのに、ここ最近の私は、躁状態になればいつでも本当に死んでしまえるような気がするのだった。家の屋上まで階段を駆け上がって、柵を乗り越えて飛び降りれば死ねてしまう。電車を待つホームで1歩踏み出せば死ねてしまう。私はいつでも簡単に死ねてしまう。そう思う。

こんなに"死への感情"が強いままこの先も生きていくことのが怖い。これから先、何度も何度も「死ねてしまうかも!」という恐怖心をギリギリの所で押さえつけて生きていかなければいけない。あと1歩のギリギリの所をつま先立ちで歩いているようなこの感覚が怖い。こんな人生があと何十年も続くなんて。

そう考えると、「あぁ、私はきっと、長い人生のどこかの時点で死を選んでしまうだろうな」と自分で思う。自分のことを、長生きしないと思う。そんな時、「ロックスターが27歳で死ぬ」と言われている理由が少し分かったような気がした。

まだ私の人生は20年と少ししか生きていないのに、こんなに何度も「死にたい」「死んでしまう!」と思っている。この短いスパンでそれらの感情に苛まれているのだから、この先も何度も強い死への衝動が生まれるのだろう。27歳まであと数年。今でも精神疾患のせいでまともに働けていないのに、数年先の自分がどうやって生きているか想像もつかない。想像すれば想像するほど、「数年後には死んでそうだな」と思えてしまう。

なんでも叩かれるこんな歪んだ世の中で、自分の正義を貫き続けて表現し続けることは、簡単なようで何よりも難しい。私は私の10年後の姿を想像できない。私はきっと、早く死ぬんだと思う。

27歳になった時、この感情は「もっと生きていたい」に変化しているだろうか。私は28歳になれるだろうか。それは27歳になってみないと分からない。とりあえず27歳までは死なないように、ロックスターになれるように、今の人生を生きている最中である。

自分の書いた言葉を本にするのがずっと夢です。