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「伯父さん」はどこへ行ったんだろう?:読書録「我は、おばさん」

・我は、おばさん
著者:岡田育
出版:集英社

「少女」「若い娘(コ)」と「老婆」の間にある「おばさん」。
その「期間的」な呼称でありながら、蔑称としても機能している「おばさん」を読み直して、「女性」の生き方に新しい見方を見出そうとする作品…かな?
ジャック・タチの「ぼくの伯父さん」や、北杜夫の私小説、植草甚一的存在や、両津勘吉、バカボンのパパなんかを引き合いに出してるように、「親子関係」や「上下関係」とは違う「斜め」の関係から主人公達を啓発(挑発?)する「伯父さん」的存在としての「おばさん」を、実在の人物、フィクション(小説・映画・ドラマ等)の登場人物等から見つけ出して、論じている作品…といってもいいかもしれません。

<「おばさん」とは、みずからの加齢を引き受けた存在。年若い者に手を差し伸べ、有形無形の贈り物を授ける年長者。後に続くすべての小さな妹たちをエイジズムから守る、世代を超えたシスターフッドの中間的な存在。歳を重ねるのも悪くないと教え、家族の外にあって家族を解体し、時として血よりも濃い新たな関係性を示す者。過去を継承する語り部もいれば、価値観を転覆させて革命を起こす反逆児もいる。縦につながる親子の関係とも、横につながる友人の関係とも違う、「斜めの関係」を結ぶ位置に、おばさんは立っている。>

紹介されてるフィクションの数々には「お、ちょっと面白そう」ってのも結構あります。(「違国日記」は気になってました。映画の「若草物語」も、こういう視点だと面白いかも)
時間は限られますがw、参考にはさせてもらおうか、と。
とりあえず堀井美香とジェーン・スーのポッドキャスト(「over the sun」)は登録しました。


一方で、「伯父さん」たちはどうなったんかなぁ、と。
「縦の関係」にドップリの「昭和」なおじさん達は、このコロナ禍でそのズレっぷりに非難ゴーゴーですが、「斜めの関係」の伯父さんってのを、最近、とんと見ないなと。
(なぜか本書ではクローズアップされてませんが)「伯父さん」のトップを張ってた「車寅次郎」さんがいなくなっちゃったからですかね?
あるいは、あの「伯父さん」たちも、ある意味「昭和」の時代の申し子だったのか。(タチの「伯父さん」は昭和とは関係ないかw)

チャーリー・ワッツの訃報に接して、改めてストーンズを聴きながら、
「まあ、これも<伯父さん>だけど、今の時代にあり得るかっていうと、ちょっと難しいかなぁ」。
Appleのオリジナルドキュメンタリー「1971」なんかみたら、そりゃまあ、無茶苦茶ですからね、ストーンズ。

「伯父さん」

面白いし、楽しいし、刺激は受けるんだけど、決して「褒められた」存在じゃない。
寅さんは一攫千金を狙って沖縄でハブに噛まれて死んでるし(ドラマ版ね)。
カッコいいけど、アントニオ猪木や千葉真一、エリック・クラプトンの生き方を「これぞ人の道」とは到底思えないw。
キースなんか、「今、無事に生きてるのが不思議」くらいですから。
ふと気がつくと、「伯父さん」はすごく生きづらい時代になってるんじゃないか…。


ん?
いや、それは僕が歳をとっただけ?
もしかしたら、息子達には息子達の「伯父さん」がいるの?

「50超えて、何が<伯父さん>だよ。お前が<伯父さん>になれるかだよ」

なるほど。
これは「僕がどういう生き方をしていくのか」って話になってるのかもしれない。
そう思うと、これはこれで頭の痛い話になりそうな気もしますが…。

う〜ん、僕は「伯父さん」になれるかな?
いや、なりたいんかな?


#読書録
#我はおばさん
#岡田育

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