【台本】学校は勉強するところだ【スタエム】
どうも、すずまちです。
今は体育のある日だけ学校に通っています。
『すずまちの常識に疑問放送局』
このチャンネルは多数の人間がさも当然のように崇め奉っている常識に、「え?それって変じゃないw」をエッセンスする放送局です。
偏差値74の高校に通いながら大学受験を辞めた、現役男子高生3年のすずまちがお届けします。
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今回は「学校は勉強するところだ」という常識に対し、「え?それって変じゃない」をエッセンスします。
学校は勉強するところだと思われてるから、親も教師も、みんなボクたち学生には勉強させようとしてくるんですよね。
そんな勉強漬けのあなたの心に響くかもしれないお話です。
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そもそもなぜ「学校は勉強するところだ」というのが常識になっているのかというと、勉強は学校でしかできないと思い込まれているからなんですよね。
つまり裏を返せば、「勉強は学校でしかできない」という常識とほぼ同義なんですよね。
「勉強は学校でしかできない」という表現に疑問を抱いた方は「学校は勉強するところだ」という常識をクリティカルできかけています。
常識なんて自分とは逆の立場からの一方的な押しつけに過ぎないんですよ。
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勉強をする場は学校だけではないことは、周知の事実でしょう。
塾に通信教材、オンライン授業やYouTubeの動画に至るまで、さまざまな勉強方法はこの世にあふれています。
学校でしか勉強はできない、学校は勉強するところだと思いこんでいる方は、頭が古いか時代遅れだと言われても仕方ないですよ。
時代遅れですね。
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「いやいやいや、学校で勉強もしてるだろwお前何様なんww」
と思ったあなた!
まあまあ、まずは偏差値74の高校に通いながらも大学受験を辞めた、現役男子高生3年のボクの感じることを聞いてください。
ボクは、そもそも学校はもはや勉強するところではなくなってきていると感じています。
ただ机に座って、教科書を読んで、黒板を写して、ときおり眠って、勉強っぽいことをしているだけです。
与えられた答えを覚え、与えられた考え方を刷り込み、与えられた価値観を強制される。
これが本当に勉強していると言えるでしょうか。
一般的に正しいとされることを押し付けることは、本当によい教育と言えるのでしょうか。
この疑問は、ボクがこのチャンネルを開設したきっかけの1つです。
学校の勉強は、もはや学びではなく大学に行くための手段と化してしまいました。
中国・南宋の時代に朱熹 (しゅき) がまとめあげた儒学の一派である朱子学は、中国の官僚登用制度の柱である科挙の試験科目になって廃れ始めたと言います。
試験に受かるためだけに勉強しているので、実践につながらないからです。
その後、このことを憂えた王陽明が新たに陽明学をおこしました。
このことは現代の日本にも当てはまるような気がします。
受験に受かるため、内定を取るための教育制度が変わらない限り、高校生や大学生になれば変わる!と期待していても、どうせ同じことの繰り返しになるのが現状でしょう。
ボクは大学に行っていないので、大学の中身がどうなっているのかは知りませんがね。
今の教育制度が廃れるのは時間の問題だと思います。
実際新しいスタイルの学校づくりを進めている人は大勢いますし、ボクもその1人だったりします。
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そう言えば、ボクにはどーでもいいことなんですけど、2024年は国公立大学の多くが廃校するらしいらしいですよ。
こうなってくると、学歴はまったくないか、大卒以上までするかの2極化になるのではないでしょうか。
学歴がまったくない人は、早くから専門のスキルを磨いて、本来は学生の年齢からアルバイト以外の自分の力だけでお金を稼ぐ経験をしていき、実績と信頼を高めて将来へとつなげていきます。
大卒まで学歴を育みたい人は、医者や弁護士などの人の手が不可欠な高度な学部やテクノロジー系、クリエイター系以外生き残れないんじゃないかな〜って密かに思っています。
AIのことを考えると、会計士やその他低度な資格はなんの効果もなくなるでしょうしね。
そう考えると学歴が重視されなくなる時代も、もう近くまでやってきてるんですかね。
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「いやいや、学校の教育制度には確かに問題はあるかもしれないし、学歴も必要じゃなくなるかもしれないけど、学校でしか学べないこともあるだろ!」と憤慨している人の姿が目に浮かびます。
確かにそうかも知れません。
体育祭や文化祭、部活など、大人になっていい思い出だったと感じる青春があるのでしょう。
逆の見方もできます。
学校だとできないこともあるのです、いや、学校に通っているからこそできないこともあるのです。
例えばボクは現在いわゆる不登校生になっていますが、それは学校だとこうしたラジオや情報収集などのスマホを使った作業、学校の勉強よりも優先順位が上のパソコンを使った作業ができないからなんです。
だったら中退すればいいじゃんと思いましたか?
もしそう思ったのならつまり、あなたは学校で勉強しなくてもいいと感じているということになりますね。
その通りなんですよ、ボクも中退しようとしました。
ボクの中退奮起物語については少し長くなりそうなので、今度話したくなったときに話します。
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いかがでしょうか。
これで皆さんの「学校は勉強するところだ」という常識にクリティカルをエッセンスできたんじゃないかなと思います。
もしまだ 納得できないという箇所があれば、レターやコメント、TwitterのDMで送ってくださると、今後の放送でクリティカルしていきます。
批判的思考大事です。
今回の新常識は「学校は行かなくてもいい」です。
もちろん学校に通ったほうが能力を発揮できる人もいます。
行かないほうが気が楽になる人や言ってもつまらない人、ほかにやりたいことがあるという人は、これからの一つの選択肢として参考にしてもらえると、ボクも話してよかったなって思えます。
かの偉大な絵本作家である蒔田晋治はこのような題名の絵本を書いています。
『学校は間違うところだ』
学校は先生が正しい答えを与えてくれる場所ではなく、あなたが挑戦するきっかけとなる場所の1つとして活用してください。
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いかがだったでしょうか?
最後まで聴いていただきありがとうございます!
『すずまちの常識に疑問放送局』は皆さんの常識に対する「え?それって変じゃないw」と感じた体験を大募集しています。
コメント・レター・TwitterのDMであなたのクリティカルシンキングをぜひ聞かせてください。
おもしろいと感じたものはこのチャンネルで紹介させてもらいます。
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それではまた。
宝くじを買うようなものです。ボクがあなたの夢になります。