「オトコは時計を5本持つもんや」
「オトコは時計を5本持つもんや」
と先輩が言った。言い切った。2014年6月のことだった。
僕はたしか「え、腕は2本しかないのに…ですか?」みたいな間抜けな返事をしたような気がする。あまり覚えていない。
その会社の先輩はキザでカッコつけな所があったが(もちろん良いところも沢山あった)当時新卒の僕からすればそれがキザなのかカッコつけなのかは判別がつかず、ただひたすらに彼の言うことを吸収しようと頑張っていたのだ。
しかし確かにその先輩は俳優のようにイケメンで、鬼神の如く働くオトコだったので、彼が「かっこいいって言うのはこう言うことや」と言うと、確かにそうなのかもなぁと納得させるような引力が働いていた。だからこそ10年経った今でもこの言葉を覚えている(忘れられないでいる)のだ。
それで、今となれば常識的に考えて時計が5本も必要ないことはわかるのだが(なんと言っても腕は2本しかないのだ)僕は現在時計を5本持っている。その先輩が会社を去って(つまり彼と会わなくなって)7年以上が経過したが、「オトコは時計を5本持つもんや」という彼の言葉は僕の頭から離れず、時計を3本持っている時は「2本足りない」と思っていたし、4本持っていた時は「あと1本か…」と思っていた。ほとんど呪縛に近い。
彼曰く、社会人は学生と違って色々なシチュエーションに遭遇する。その時々のTPOを身につけなければならず、そのために自分なりに選んだ最高の5本を持っていなければならないと言うことだった。しかし今日このことを書こうと思って、何か彼の言い分に信憑性があるのかしらとネットで簡単に調べてみたけれど、オトコが時計を5本持つという名言や、何かしら裏打ちしてくれるものは見当たらなかった。ひょっとしたら彼オリジナルの哲学だったのかもしれない。その場合、僕は彼のオリジナル格言みたいなものを10年近く引きずったまま(勝手に)時計を集めていたことになり、割と滑稽だし、痛々しいまである。
僕は今年また新卒を迎えて指導する立場で、思えば当時の時計5本先輩よりも年上になってしまった。(信じられない)僕が今一番怖いのは、少なくとも「オトコは時計を5本持つもんや」なんて口走らないにしても、僕にとってのそれをどこかで口にしてしまうのではないかという懸念だ。例えば「すね毛を剃るオトコは下劣だ」とか「サンダルに靴下を履くのは人間じゃない」とか、まぁなんでもいいんだけど、とにかくそういった呪縛を彼らにかけないように注力しないといけない。
でも実際にはふとした言葉が意外にもブッ刺さったりもするので、とにかく日々言葉に気をつけて生きるしかないのか…などと思っている。
写真は僕の5本目の時計。
今日はここまで