実るほど頭を垂れる稲穂かな
先週末、帰宅してテレビのニュースをみて大変驚きました。
大変意義深く、喜ばしいことだと思います。
この授賞理由に書かれているように
「約80年間戦争で核兵器が使われていないという、励みとなる一つの事実を認めたい。日本被団協と被爆者の代表らによる並外れた努力は、核のタブーの確立に大きく貢献してきた。」
は本当にそうだと思います。
この被団協はもちろんリーダーはおられましたが、その方ひとりの会ではなく、一人ひとりの被爆者や支援者の方の集合体です。つまり英雄的、スーパースターではなく、会の一人ひとりの努力、積み上げが80年間の核兵器不使用の大きな要素になっていることは間違いありません。
時の核兵器保有国のリーダーの英断ということだけではなく、彼らが使用を躊躇ったのは、核のがもたらす悲劇を多くの被爆者の方々が、大きなお声、小さな叫びが、声にならない強さで主張し続ていたからです。
あきらめない強さ、小さな一人ひとりの声こそが世界を変える、それをノーベル平和賞は評価したのだと思います。
さてそれに対して広島の市長は
通り一遍のご挨拶で残念です。
この市長は背景が不透明なまま平和公園とハワイのパールハーバー国立公園との姉妹協定を強引に進めています。
私は原爆については広島の人はもっと謙虚になるべきだと思っています。
原爆の話になった時に「私は広島の生まれで」というと、その場の人にある意味プレッシャーをかけてしまうことは何度も経験しています。どうしても広島=被害者という構図になるのです。もちろん広島の人はその構図と責任を自覚して振舞うことはとても大事なことだと思っています。
広島には言外に被害者という言葉が含まれているのです。
被害者という立場を強調しすぎると、周囲の人に傲慢だと誤解、誤った認識を感じられることもあるでしょうし、強調せずとも相手の意識に少しでも織り込まれることが起こりえます。
ですからより謙虚に、本質を優しく伝えることは、傲慢さを少しでも除くためにとても大切なはずです。
この市長は多選を繰り返すたびにそこが欠けていっているようです。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが、そのことを忘れておられるようですし、また被団協も今回平和賞を受賞されてもそのことを忘れないで地道な努力を重ねていただきたいです。
先日地元紙にこのような記事が出ており、図書館で借りてみました。
「対馬丸とボーフィン」(池澤夏樹、黒田征太郎)
対馬丸とそれを攻撃した潜水艦のボーフィンを擬人化し、二人が会話する形になっています。これを読んで驚いたのは、ボーフィンは今も健在ということ。もちろん退役していますが、今はパールハーバー国立公園に「USSボーフィン潜水艦博物館公園」としてアリゾナ記念館に渡るフェリー乗り場の隣に係留されているとのこと。パールハーバー・ビジターセンターにありますから、提携対象のエリアではないでしょうか。知らなかった…。
そうか、広島の姉妹提携にはここも含まれるのでしょうか。それはいけないと思います。含まれているとすれば広島の原爆に対する被害者としての立場を強調し、対馬丸の被害者に対する配慮を完全に欠いている傲慢さを感じます。
傲慢でなく謙虚さがノーベル平和賞受賞へのバックボーンだったと思いますが如何でしょうか。
前述のように「広島」からの発言は、より無知な人には「傲慢」さを感じるかもしれません。この大使もどうやらそのようですが、逆にこの発言が自国の傲慢さをも象徴しているように思うのです。
タイトル写真は20年くらい前のイベントに、当時小学生の息子がボランティアでお手伝いした時、黒田征太郎さんが書いていただいたイラストです。
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