生きることに意味なんてないと思ったら、生きることが一気に楽になった話。
(痛いとか苦しいとか、身体的苦痛を感じない、という前提で)
今日でも明日でも、自分の人生はいつでも終わってもいいな。
と思っているところが、私にはあるんですね。
今現在、「生きたい」という思いで
今日、明日の命を繋いでいくことに一生懸命な人がいるということも分かっていて、
生命の尊さも自分なりに理解しているつもりだから
こんな風に感じる自分に罪悪感を感じていたんですよね。
本当にごく親しい信頼している人、
母や妹やだんな様にだけこの感覚を話したことはあるけれど。
「私の人生はいつでも終わっていい」という、この感覚がいつ頃からあったのか、はっきりと認識はないのだけれど、
20代のはじめには、これを感じていたことは覚えてるんですね。
この感覚を持つ自分を、「(人として)危ないな」とも思っていて、
なんとか前向きに「生きる」ことを選択できるように、いつもいつも自分を元気付けたり、せっついたりしながら生きてたんですな。
周りから見る私は、とても生き急いでいて、いつも忙しなく行動し続けて、
短い人生を目一杯たのしんで生きようとしているように見えたと思うんです。
実際にわたし自身も
「人生は短いんだから、目いっぱい楽しまないと、あっという間に終わっちゃうよ」
と、自分に言い聞かせて、だまくらかして生き続けていたところもある。
だけど本当は、自分の毎日に楽しいことや目指したいことを見つけ続けてあげないと、
私は人生を生きることを、無意味に感じて動かなくなると思っていたんですね。
実のところ今だって、
自分にあとどれだけ時間が与えられるのか検討もつかないけれど、
「はて。自分の生命が終るまで、どうしようかな。。。」
と、人生を継続させることに飽きている感があるわけです。
だけど、自分が意図して終わりを選択する気は毛頭ないし、生命をいただいている間は「生きる。」と決めています。
生きるからには「生きる意味」や「存在する価値」がないといけない、と、思い込んでいたところが私にはあったんですね。
だけど、ここのところ
「人が生きる意味なんて、なくていいんじゃない?」
「て、いうか、生命に意味なんてなくない?」
という考えに至ったんですな。
生まれることを望んだにしろ、望まないにしろ(自分の意識がそのどちらにあったのかは知らんけど)
与えられた「生命」を、ただ終わりまで淡々と生き続けるだけで良いじゃん。
ということに、納得したんだよね。
そうしたら、
お金や肩書きや
才能や個性や自分らしさや使命を持ってないといけない。
という思い込みが一気に消えたんですね。
私のなかで「生きるなら、ぜったいに必要だ。」と思い込んでいた、それら全部は、
おそらく他者との比較や、他者からの評価にフォーカスして生まれた観念なんですよ。
でも、
人が生きる意味なんて、たぶん無い。
だから、自由に好きに死ぬまで生きればいい。
と思えた瞬間から、
その観念は、パァッと消えたんですね。
自分自身への過度な期待も、自分の未来のビジョンも全部消えました。
今は
なんでもいい、自分が心地よければ。
そう思ってます。
自分の人生に足りないものを見つけて、それを充足することに必死になって、時間やエネルギーを使うことがピタッと止まりました。
不安も焦りも無駄な欲も消えて、毎日がめちゃくちゃ楽です。
自分の今が良い状態なのか分からないし、
また急に「何もない人生」に焦りだすかもしれないし、
どう変化していくかは分からないけれど、
今のところ、良い感じです。
もし、これを読んでくれているあなたが
生きることに迷走していたり、難しいと感じていたら、
【チサカフェ】に話をしに来てください。
たぶん、お役に立てることがあるように思います。
のんびり、お待ちしてますね。