シナプス(右手と左手が同時に動く私)
シナプスとは……ニューロンとニューロンの接合部、のことだそうで。はてニューロン?
要するに神経と神経の橋渡しをするやつみたいです。シナプス。
私のシナプスはかなり鈍くさいと思う。
そもそも脳みその容量が乏しく、難しいことをするとすぐに煙を上げプスプスいい始める。
私の脳内信号は絶対どっか狂ってるだろうと、結構前から思っているのである。
それというのも、私は両手が同時に動く。
動くのは普通か。
予期せず動いてしまうと言えばいいだろうか。
例えば右手をグーパーと動かすと、 左手も少しだけグーパーしようとするのだ。 左手をグーパーしても同じ。
動かした方と連動して動かそうとしてない方が少しひくひくと動くのだ。
他の人もそうだと思っていたのだが、友人に見せた時「え?なんで?」と言われたので、自分だけだと気が付いた。
「あ、皆なんないんだ」、と。
自分なりにこれは「右手を動かせ!」 という信号がちょっとだけ左手にもいっちゃってるんだ、と勝手に解釈しているが、実際のところは知らない。
おかげか分からないが物をよく落とす。
これも割と最近気づいたことだ。
なんとなく「よくモノを落とす気がするなあ…」と昔から思っていたが、持っていることをちゃんと意識しないと予期せず動いて落とすようだ。
例えば左手でコップを持ちながら、 右手で何かややこしいことをしようとするとたちまち危険だ。
気付いたらコップがななめになってジュースがこぼれる寸前だったり(既にこぼれてたり)、誰かへ右手を振ったものなら 左手も一緒になって揺れていたりして、とても危ない。
そんな「若干コントロール不能」な両手を持っているにも関わらず、 ピアノ教室に通っていた時があった。小学校一年生くらいだ。
ピアノというのはご存知の通り、
片手で「副旋律」を弾きながら、 もう片手で「主旋律」を奏でる。
左右まったく違うことを指先だけで行わないといけないのだ。
今なら分かるがそんなこと、絶対に無理だ。
もちろんピアノは地獄だった。
右手と左手に違う動きをさせようとするとたちまち私の頭はプスプスいいはじめた。
例えば左手で「ドソミソドソミソ……」と副旋律を弾く。これは片手なので楽勝だ。
しかしその横でこっそり右手も「 ドソミソ」の動きでちょっとピクピクし始めている。
このまま両手とも「ドソミソ」なら平和に納まるのだ。
しかし、その状態から右手は全く違うリズムの主旋律を弾かなければいけない。
だが右手は「ドソミソ」を弾きたがっているので「やめなさい」 という信号をまず送らないといけない。
そして次は「やめなさい」をしながら「主旋律を弾く」ということをしなければならない。
しかし「やめなさい」と「 主旋律を弾きなさい」 の信号を同時に受信した私の脳みそのシナプスたち(?)はたちまち容量超過し大パニックになるのだった。
今は「出来ない」ということが分かっているから「ハイ無理無理」と思えるが、当時は混乱でしかなかった。
ピアノ難しすぎる!どうして他の皆はこんな難しいことが出来るんだ! という焦りしかなかった。
みんなこの手の衝動を抑え込めているのか!?
焦れば焦るほど、人はどんどん深みにハマってゆく。
ピアノ教室では、先生の「はいせーの」でクラスのみんなで合わせて弾くのだが、私は途中でよくよく止まってしまった。
やろうやろうとすると頭の中は混線に混線し、絡まりまくり、しまいには真っ白になった。
そうなると何も出来なくなってしまった。
何も出来ないうちにも曲は進むし、どうしようどうしよう、と思っているうち、しまいに私は両手をバーン!と鍵盤に叩きつけて泣いた。
これが私の最初の挫折だ。
クラスの皆はどんどん次のステップへ進み、 もっと難しくてきれいな曲を弾けるようになる中、私は一番簡単な「 おいしいぱん」から先にいけなかった。
ピアノは一年もしないで辞めてしまった。
そんなわけで私のシナプスは物心ついた時からちょっと狂っている。
しかし手に関しては「楽器」さえしなければ、不自由はないのでそんなに困ったことはない。
ただ音楽は好きなのでたまにちょっと「楽器やってみたいな…」なんて、魔が差したりするのだが、ピアノの苦い記憶を思い出しては戒めたりしている。
ところで今まで同じ症状のひとに遭遇したことがないのだが、いるのだろうか?
もしいたら教えてください。
「 右手と左手が一緒に動く人」
出会えた暁には「おお、 ここにいたのか...」と是非ともハグをしたいと思う。