#33 読書日記05 善意という暴力
『善意という暴力』堀内進之介を借りてきた。
SNSでは「自分語り」「サクセスストーリー」が百花繚乱。
キラキラと輝く言葉の数々が目に飛び込んでくる。
それが珠玉の言葉と言えるかどうかはわからない。
人によってセンサーの感度が違うから、響き方も異なるだろう。
大学は春休みに入り、時間に余裕があるため、自習室で頑張っている大学生と話す機会が結構ある。
SNSや動画のインフルエンサーの言葉に惹かれ、自己肯定感アゲアゲの “沼” にハマり、疲れを感じている学生も少なくない。
ネットには、共感できることや自己改革のヒントがたくさん溢れている。
「自己肯定感向上祭り」
只今絶賛開催中。
発信者は受け手の迷いを見透かしているかのように、そのハートを鷲づかみにしている。
私は失敗に失敗を重ねてきた老齢者。
精神的な足腰は弱ってきているものの、ちょっとやそっとじゃへこたれない。
自己肯定感なんて、気にしたことはない。
意識高すぎ君でもなければ、低すぎさんでもないのかな。
この先の人生、そう長くはないのだが、それでも、亀の歩みでゆっくり前へ進んでいる。
若者たちは、何かをつかみ取ろうとして、懸命にもがく人生の真っ只中に生きている。
失敗を重ねながら成功をつかんでほしいと願っている。
「自己肯定感!低いのは悪! 高くあらねば!!」と思っている若者は思いのほか多い。
しかし、その言葉の功罪を感じることもある。
◆『善意という暴力』
堀内進之介
堀内進之介(首都大学東京客員研究員)氏の底流にあるテーマは「善意による支配」
「成功者の語り」について触れられている箇所がある。
成功者の話は、実際に結果を出した人の方法論や思考法を基盤にしている。
前回も触れたが、誰かが成功した方法が自分にとって再現性のあるものなのかということを、今一度よく考えておく必要があると感じた。
成功したくて、チャレンジしたけれど、上手くいかないということはよくある。
そんなときは、心の立て直しが必要になる。
思考の転換か
◆後知恵バイアス
成功者には、「自分の成功体験は必然である」というバイアス(思い込み)がある。
嘘をついているわけではないし、事実を捻じ曲げているわけでもない。
背景には、もしかしたら気の遠くなるような失敗や挫折があったのかもしれない。
志を高く持ち、全力で取り組むことは尊い。
しかし、短期決戦、一発で成功するほど世の中は甘くない。
話が上手い人は、要領よくわかりやすく伝えてくれる。
無駄をそぎ落とし、要点を述べている。
だから、聞き手・読み手は「自分にも簡単に取り組めそうだ! よしやってみよう!!」となる。
SNSに限った話ではない。
日常の会話にもあることだ。
私は高校に35年間勤務し、辛酸をなめたことが数知れずあった。
教職をめざす学生に、いろいろな話をするが、彼らにとっては、経験し得ない未知な部分が圧倒的に多い。
私はややもすると「いろいろあったけど、そこに行き着いた」と語ることが多い。
“ いろいろ ” の中身は端折りがちだ。
実際には、苦しみや悲しみ、悔しかったこと、恥ずかしいことで溢れかえっている。
あまりネガティブ情報ばかり伝えるのも、何だかなあ、という思いもある。
教職科目の講義で時々、こんなことを言う。
「私の話を鵜呑みにして、こうすれば上手くいくなんて思わないことだよ。
私は私でしかない。
あなたはあなたでしかない。
あなたと私のパーソナリティは明らかに違う。
歩んできた道が違う。
紡いできた物語が違う。
私が優れているとか、あなたが劣っているといった優劣の問題ではない。
世界にたったひとつだけの「わたしだけの物語」をどう紡ぐか。
人格を形成するとは、そういうことじゃないだろうか」
私自身、成功のノウハウを語っているつもりはなくとも、学生は「そうか、そういうふうに対応すれば上手くいくんだ!」と思ってしまう。
真面目にノートに書き留めているし、課題の小論文でも私の話や考えをなぞるようなことが書かれていたりする。
堀内氏は、社会学者のマックス・ヴェーバーの『仕事としての学問』の中に記されている「凡庸な人ほど個性や特別な経験を語りたがる」という一文を引用している。
凡庸である私には耳が痛い話だ。
自分のことばかりを語り、自分がいかに個性的であるかをアピールする・・・・
もちろん、そうじゃない素晴らしい語りはたくさんある。
私は、自分の仕事や人生に誇りを持ち、情熱をしっかり語ることができているだろうか。
心の根源的なところに直接触れられた思いだ。
心がチクチクする。
尊敬するあの先輩を見て、自分と何が違うんだろう?と思うことが今でもある。
その先輩の前では自分が小さく感じられる。
どうして、こんなに凄いんだろう。
どうして、こんなに言葉に重みがあるんだろう。
歩んできた道が違うから?
苦労の度合いが違うから?
でも、自分はこの人にはなれない。
私は私だから。
小さな「できること」を、たくさん集めて、できることをいっぱい増やそう。
凡事徹底に努めたい。