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#152 面白半分日記32 読書日記26 教師の文章力の劣化

『教師の文章』

宇佐美 寛 著
千葉大学名誉教授の宇佐美先生は1934年生まれで御年90歳。

頑固ジジイと言うなかれ。
読んでいて文章に凄味が感じられる。

教師の文章力の劣化は看過できないというお叱りを受けた気分になった。

以前、氏の著書を5冊ほど読んで、教育哲学、教師としての信念を明確に持つことに激しく同意し、そして文章修行をせねばいかん!と思ったわけだが、書く技術は書くことでしか身に付かないわけで、恥ずかしながら私は50年以上書き続けてこのレベルでしかない。


■すべての道はローマに通ず

「すべての道はローマに通ず」はフランスの詩人ラ・フォンテーヌの『寓話ぐうわ』に出てくる言葉だ。

どのような道を選んだとしても、ひとつのことに専心すれば目的や真理に到達できるという意味が込められている。

道はたくさんある。
手段もいっぱいある。
だから迷うのかもしれない。

近道、寄り道、回り道、人生いろいろあるだろう。

ラ・フォンテーヌは「でもやっぱ、それって大変だよね~」というオチまでつけている。

私が身に付けた文章力は、50年間で1mmくらいは成長したかもしれない。

結果はどうあれ、努力するプロセスに価値を求めるべきだろう。


宇佐美氏は、序章から「大学教師たちの文章の劣化は、まことにはなはだしい。ひどいものである」と斬り込んでくる。

劣化甚だしい読み書き能力”をスバリ指摘された私としては、耳が痛い、目が痛い、お腹も頭も痛くなりそうだ。

明日の仕事は「おなか痛いんで休みます」と連絡しようかな。

論理的な言語である日本語が粗末に扱われている現状に怒り、不実な誤った教育言説を一刀両断に叩き斬り、ある意味、清々しさを覚える。

いや、あまりにも切れ味が鋭くて自分が斬られていることに気がつかないのが一番怖い。

お前はもう斬られている!

北斗の拳芋焼酎


我が生涯に一片の悔い無し」と、カッコよくキメたいところだが、私は悔いだらけの人生だ。

悔いて63年。

今際いまわきわで、私は何とつぶやけばいいのだ。

King of Regrets(後悔王)とでも名付けてもらおうか。

そんなわけで、定年退職後もなお教育機関に勤めて学び続けている。

高校教師になったのは贖罪しょくざいの思いが強かったが、すでにみそぎを終えて出所したので、大学教師として第二の人生を歩んでいるところだ。


宇佐美先生は「子どもたちが学ぶことに夢中になり、熱くなって書くという状態になっていない原因はどこにあるのか考えよ!」とげきを飛ばす。

教える側の教師自身の言葉、文章に「熱」がないと断じている。

学校通信、学級通信、大人向けの研究紀要まで、主義・主張や個性が見えない文章が多いと。

日常の声がけもそうかもしれない。
別に大声で熱くアピールするという意味ではない。

情熱の押し売りで潰されている子だっている。

むしろ問いを発し、考えさせることが必要な時代だ。

こころのうちに秘めた熱さは、外へ出たときに温もりのある優しさになっていなければならない。

どうやら、現在の教育改革推進のバイブルとも言える中央教育審議会答申や学習指導要領に書かれている文章も本質をつくような説明がされていないと言いたいようだ。

改革のキーワードはたくさんある。

「生きる力」「主体的・対話的で深い学び」「協働的な学び」「個別最適な学び」「知識および技能の習得」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」

確かに私自身、教職志望の学生向けに、ひとつひとつのキーワードを咀嚼そしゃくし説明もするが、いざ議論を進めていくと、言葉が合っていない、思いが合っていない、共通認識に至っていないということがよくある。

修行が足りない。
ローマまでの道のりはあと9,860㎞