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#180 面白半分日記40 他者と向き合い自己を確立するプロセス
久しぶりに書く。
寝る間も惜しんで睡眠に没頭する日々を過ごしていた。
多忙の「忙」は、“心を亡くす”と書く。
こころを亡くすほどのピンチだったわけではない。
新年度に入り、新設学科の所属となり、何が何だかわからないうちに、経験したことのない科目をいくつか担当し、2つの学内委員も引き受け、何とかこなすことで精一杯だ。
あと少しがんばればGWで一息入れられる。
あと2年もすれば前期高齢者となる。
ウェイトトレーニングやウォーキング、ストレッチ、セルフメンタルトレーニングだけでは追いつかない時が来るのかもしれない。
無理して自分に鞭打つことはせず、ありのままでいようと思っている。
加齢を重ねて、フィジカルとメンタルのバランスを真面目に考えるようになった。
「体は食べたものでつくられる」を実感している。
教職課程の「生徒指導論」に関して教育心理学を交えながらの講義で、学生に疑問をぶつけてもらった。
「なんでもいいから、意見や疑問を私にぶつけてごらん」
「客観的事実に基づいた主観とか間主観性の意味がよくわかりません」
質問をぶつけられた私は重傷を負いそうになった。
今までぶつけられたことのない疑問だった。
「いや、そんな難しいこと言われても(私が言い出したことなのだが)、チンパンジーの私にはよくわからないけどね・・・・生成AIのChatGPTに聞くほうが正確かもしれない(^_^;)
考えてみると、私たちは常にいろいろなヒト、モノ、コトに触れ、思考し表現しながら、そこに自己を投影し、自分の知らない自分に気付くことがある。
今こうしてここに存在する自分は、過去の経験だったり記憶で成り立っている。
でも、経験は時としてあてにならない。
時間の流れの中で劣化し通用できなくなることが多い時代に突入した。
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さらなる学習や経験によって新たな価値がつくられて、新たな自分が誕生する。
つまり、自分という存在は普遍的・不変的でもなければ絶対的でもないということになる。
なぜそれをする?
何のため?
誰のため?
それで何が変わる?
そこからどんな価値が生まれる?
相互的・共同的な対話や作業の中から「わたし」「じぶん」という主体は生まれる。
私たちは意識的・無意識的に、他者と向き合い、関わり合いながら、自分という主体をつくっているということにならないだろうか?
そこから、新たな自分が生まれ、そして他者との関係性と出会いなおし、結びなおしをする中で、誰かの役に立つ新たな価値が生まれている。
人生、この繰り返しじゃないか? 」
うなずく学生がいる一方で、頭の上に「?????」のマークがたくさん並んでいる学生もいた。
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過去(past)から受け取った現在(present)に価値を付加して、未来(future)の自分と他者にプレゼントするのが私たちの使命。
あなたが教師になったとき、児童生徒に何をプレゼンテーション(プレゼント)する?
年老いた私は恩送りの人生。
私の全身が「?」マークになっている毎日だ。
共に学び、なおもっと学ぼう。
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