#225 面白半分日記46 コスト社会 備えあれば憂いあり
保険会社に勤めている教え子が研究室を訪ねてきた。
契約の獲得がしんどいという。
天職‥‥じゃなくて、転職したいと。
なんだ、保険商品を勧めに来たわけじゃないんだ・・・・
そうだよなぁ、私はもういいジジイだから、今さら新規契約とか追加はないだろう。
彼は仕事に迷いが生じているようだ。
私が決めることじゃない。
新規顧客の開拓が頭打ち状態になり、既存の契約者に対してオプション追加を勧めることに必死になっているという。
現代はガン発症のリスクが高いとか、医療費が高騰しているとか、遺族が物価高の時代に暮らしていくためには・・・・など、いろんな話を持ち出しているに違いない。
若かった頃、保険屋は鬱陶しい存在だった。
若い分、病気の心配なんてしていなかったので、しつこい外交員は相手にしないようにしていた。
リスクゼロなどあり得ないことは十分承知していたが、それでも、自分のライフプランの中で生命保険の優先順位は低かった。
妻は銀行の融資係や保険のセールスレディをしていたので金融のウラ舞台はやたら詳しい。
だから、カネに絡むリスクマネジメント(私の命の値段)も、家計の管理も資産形成も、すべて妻任せできた。
自分のことなのに無責任だったと反省している。
反省しているが行動は改まらない。
保険屋である教え子に次のような話をした。
社会人になる前の学生達に、私が話している内容だ。
災害による損失は社会の脆弱性の度合いによって決まる。
心身の損失(疾病)は心身の脆弱性の度合いによって決まる。
治療費と保険による補填金額はそれで決まる。
脆弱性をカバーするのが保険。
保険はコスト。
つまり、「備え」はコスト。
備えの利用機会は非常時に限られるけど、備え続ける限りコストはかかり続ける。
「備えあれば憂いあり」
保険屋がすべきことは、保険知識の乏しい善良な人々に対して、過度に不安を煽ったり恐怖を植え付けることではない。
あるいは、高い保険商品を売ろうとしたり、お年寄りにあまり必要のないオプションを次々と追加することでもないだろう。
むしろ、無駄な契約内容がないだろうかとチェックして、保障内容の見直しと保険料削減を指南したほうが信用は上がる。
保険は安心保障ではあるけれどコストであることは間違いない。
災害や事故、疾病の出現率から計算したら、はっきり言って家計におけるコスパは悪い。
数学的な確率論と生涯支出額を誤魔化して数字のトリックで説明してはいけない。
まあ、保険会社はそうして大量の金を集めて機関投資家としてさらに金を増やして食っているわけだが。
金融とはそういう仕組みで成り立っている。
教え子との話に戻そう。
君がお客様と信頼に基づいた契約を結びたいなら、お客様の収入に応じた損益分岐点と適切なコスト支出を誠意をもってちゃんと教えるべきじゃないだろうか。
さらに、リスクマネジメントには保険に加入する以外の方法があることも教えるべきだろう。
例えば、日頃の心がけによって健全な心身を維持できて、しかも金をかけずにリスクを軽減することができる。
そういうことをお客様に話すべきじゃないか?
日本の高齢化社会が社会保障費の高騰につながることは目に見えていて、それは若い世代の君たちの負担も増えることを意味している。
君自身のリスク管理も含めて、本来あるべきWell-beingのためのリスクマネジメントとは何かを考えて仕事をしてごらん。
「年老いた私の生活に潤いを!‥‥
笑え!笑顔だよ、え・が・お!」
「アハハ‥‥(^_^;)」
「笑うとね、心身がリラックスした状態になり、自律神経を安定させるんだよ。
自律神経が安定すると、血行がよくなって、緊張で強ばっていた全身の筋肉がほぐれたり、内臓にもいい影響を与えるんだって。
笑う気分になれない時は作り笑いでもいいらしい。
口角を上げて笑顔を作る!
しかも、笑うことで脳内のエンドルフィンの分泌が活発化して痛みを軽減したり、NK細胞(ナチュラルキラー)という免疫細胞が活性化して免疫力がアップして癌細胞を攻撃するんだ。
つまり、病気知らずの生命保険いらずってことだよ、ワッハッハー!」
「アハハ‥‥」
「ダメだ、笑い方が足りない!!」
よく分からないが、
「もう少しがんばってみます」という言葉を聞くことができた。
仕事は辛いから対価をもらっているのだ。