#377 承認欲求と自我拡大装置としてのSNS
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承認欲求
誰もが自由に発信できるSNS。櫻坂46の歌にこんな歌詞がある。「誰も承認欲求が強すぎて そんなに自分に自信がないのかい? もっと見てと求められるSNS ちゃんと見てるからって言ってるのに欲張る」
そんな状況が至るところに散見される時代。
mixi誕生から20年、昨年の12月にmixi2が動き出した。私はもはや多くのSNSから撤退した身。
インターネット黎明期の80年代、個人的な実験・研究でサーバーを構築しウェブサイトを運営していたが、ずいぶんと「掲示板荒し」に悩まされた。法整備が未成熟だったこともあり、ほとほと疲れて既成のブログサービスに移行し、そうこうしているうちにSNS隆盛の時代を迎えた。
あれから40年近くが経とうとしている現在、多くの人がSNSで「自分のために」「誰かのために」という思いで書きながら、そこに時間を割いて疲弊していく人が増えている。炎上も起こっている。
世の中を便利にしたPCやスマホは諸刃の剣。
「わたし時間」がいつの間にか「他人時間」となり、自分の時間が剥奪され束縛され、自分を見失っているケースもある。
学生との面談で日常の行動について聞いてみた。
「リアル空間では人と話すことで必要以上にエネルギーを消耗している感覚なんです。誰にも邪魔されず気ままに発信してみようと思ってSNSを始めました。」
「なるほど、それもアリだね。」
「なのに、心ないコメントに傷つき振り回され、人間不信に陥っています。
人間は信用できない生き物です。」
「人間は~といってしまうと、人類全体を指すことになるけど、本当にそうなんだろうか?」
人は信用できないものと刷り込まれると生きづらさは加速する。
自我拡大装置
学生には冷静に状況を把握するよう促す。
「どこの誰かもわからないような人の話は確かに怪しいし信用に値しないかもしれない。でも、信用するとか信用しないとか以前に、人は匿名性が高い空間では自我が拡大して、思ってもないことを好き勝手に口走ったり、大風呂敷を広げた物言いをするもんなんだよ。匿名性の構造を理解しないといけないね。人間は弱い生き物だけど、強くもなれるし賢く生きることもできる生き物なんだよ」
学生たちは暇さえあればスマホを開いて、着信やアプリのバッジ表示を確認する。メッセージを読み、既読スルーにも気を遣いながら、レスを入れるかどうかで悩む。複数のSNSを巡回しコメントをチェックし一喜一憂する。
それは疲れるだろう。
時間も奪われていくだろう。
時間泥棒はお互い様か?
「そこに本当の自分はいるのか?」と学生に問いかけてみた。
自分で自分の時間を無為にしていることに気付いていない。何もせずダラダラゴロゴロすることに罪悪感を覚え、スマホを抱え常にネットへアクセスして情報を得ることが正義になってしまっている。
人間はボーッとしている時間でさえ何かを考えているものだ。そこに意味ある思考を取り入れて自分と向き合い、自分と対話し、次に他者と対話すればよいのだが、人との交わり方や心のさばき方に慣れていないと、ちょっとしたことがストレスになり、ネガティブのループにハマる。
リアルな世界で人との向き合い方や心のさばき方を鍛錬する機会が少なくなっているのだろうか。
SNSだって上手く使えば自己肯定感を高め、自分のライフ形成やキャリア形成に役立てることができるはずだ。
今や小中高校生は情報リテラシーを学ぶのが必須であるにも関わらず、肝心の情報ツールとの向き合い方や、ネットのON、OFFの使い分けについて深く学ぶ機会が足りていないのかもしれない。
学校ではそこまで指導する時間が確保できない分、家庭に多くのことが期待されている。
私も含め、親世代がすでにそういう状況に飲み込まれているのかもしれない。