#30 ジグソー法 チームの力
10年ほど前、高校ではまだ珍しかった「コミュニティスクール」の立ち上げに関わったことがある。
学校はどう変わっていくべきか教育委員会と議論し、わずかながらも希望が見えてきたような気がした。
多様な生徒を抱える学校ゆえ、多様なアウトリーチを増やしていくことが課題になっていた。
多くのことは教師個々の能力とその教師固有の人的ネットワークに頼っていたので、仕事そのものが属人化されていたのだ。
組織としてのシステム構築をどうマネジメントするかが悩みの種だった。
それは、「教育ガバメント」から「教育ガバナンス」への路線変更に尽きる。
ガバメントは官僚組織型のトップダウン構造の管理運営であり「統治」と訳される。
対するガバナンスは「協治・共治」と訳される。
学校と保護者、地域との連携・協力といったことを、単に理想論として唱えるだけではなく、実際に外部の人々に「本気で参画してもらう」というシステムを構築するために必要だったとも言える。
経営とは、個々の組織構成員を信頼し、その意思を尊重して自律を促すことにある。
文科省が学校の組織マネジメントを力説したからといって、社会的に合意を得て確立された答えがあるわけではなかった。
校長の権限が拡大されたとか、行政の指示に従うだけの「管理者」から自律的な「経営者」に変われと言われても、理想とされるロールモデルが貧弱で確立されていない状況のなか、産みの苦しみもあった。
そもそも、マネジメントという言葉を使ってしまうと、日本の土壌には非常に馴染みにくい欧米スタイルの経営論で考えてしまう。
「みんな、脳内を欧米化しろ!」と言うわけにもいかない。
自らの教職経験を踏まえながら試行錯誤しても、その経験自体が古い体質のなかで培ってきたものだけに、思考もガラパゴス化しているかもしれないのだ。
いろいろな課題を抱えながらも、コミュニティスクールが動き出していくなかで感じたことは、先生方が管理職に率直な意見を言ってくれると発想が変わるかもしれないと感じた。
職員会議で「どんどん言ってほしい」と伝えた。
以前なら、こんなことを言われていた。
「校長、ちょっと頭の中がぶっ飛びすぎてませんか?」
「落ち着いてください!多動傾向が強くないですか?」
「ふざけたこと言っていると生徒が勘違いしますよ!」
「いい加減、部下にイタズラを仕掛けるのやめてください!」
そう言われることが多かった私だが、組織の雰囲気が徐々に変わっていくのが感じられた。
社会の中には、学校の教育活動に関わって、何かお手伝いしたい、支援したいと思っている人々はたくさんいる。
ただ、繋がり方が分からないとか、何となく敷居が高いと感じていたりするのだ。
私は、生徒や先生たちと一緒に、自治体や企業が開催するイベント、ボランティアなどに参加しながら、「いやあ、実はウチはこういう学校で、いろんな方々に関わっていただきたいんです。逆にお手伝いできることがあれば言ってください・・・・」と、事あるごとに話した。
チーム力は大切だと思っているが、文科省がお薦めしている「勝ち馬」に乗るために群れるわけではない。
同じ志を持つ者が結集して最大限のパフォーマンスを発揮したいのである。
ジグソー法だ。
利他が利己につながる。
◆ことば合わせ
今もなお、教育界、学校には、特殊な組織言語体系がはびこっている。
外とつながるということは、ことばを合わせ、こころを合わせる努力が必要だと感じた。
わかり合えなさは、言葉と行動で補うしかない。
リーダー自身も含め、みんなが個の力、ことばの力を磨くことを怠ってはならない。
一人で何ができるか、どれだけのことができるか。
少数の個人芸、伝統芸だけでは限界がある。
自己の相対的な位置や能力を知り、己の至らなさ、不甲斐なさを受け容れること、それが教養であり知知性ではないのか。
チンパンジーの私はそう考える。