#78 まちがえる脳
『まちがえる脳』
岩波新書/櫻井芳雄
私はエラーでできている。
よく間違える。
どんなことで?
いや、あんなことや、こんなこと、そんなことまで・・・・
あげるとキリがない。
夜更かしして寝坊する。
食べすぎて健康診断でひっかかる。
トイレの灯りを消し忘れる。
その気のない猫を構いすぎて引っ掻かれる。
生まれてきたことは間違っていないと思っているので親には感謝している。
親孝行しようと思ったら両親とも他界してしまった。
人生におけるチャンレンジでの失敗や選んだ道を間違いだったと考えず、最終的に「正解」にしたい。
■日々の間違いに思うこと
授業中、黒板に書いた漢字の “ にんべん ” の部分を “ いとへん ” で書いたり(偏向→編向)、英単語の綴りを間違えることがある。
途中で気付いて、正直に「間違えちゃったエヘヘ・・・・」と笑って訂正する。
場合によっては一気にまくし立てるように説明し、どさくさに紛れてササッと誤字を消して、なかったことにすることもある。
しかし、間違いを素直に認め、謝罪し、正解を示すのが真の教育者であろう。
初学者に何かを教える場合、正確性が命だ。
昨日、こんなことがあった。
授業の最初にプリントを配ろうとしたら、違う科目のものだった!
「ごめん、ちょっと取りに行ってくる!」
と学生たちに告げ、配る予定だったプリントを研究室へ取りに戻った。
小学校だったら「廊下を走ってはいけません」という貼り紙があるのだろうが、ここは大学である。
メロスは走った。
正しいプリントを待ち望んでいる学生たちのために走るのだ。
エレベータに乗るより、ダッシュで7階まで駆け上がるほうが早いと判断した。
そして、途中で階段を踏み外して膝を階段のへりにぶつけた。
こりゃ危ないと思い、エレベーターに乗り換えたら、ボタンを押し間違えて地階へ行ってしまった。
授業開始早々「おわったな」と思った。
いや、終わってはいけない。
一事が万事、一日中何かしらの間違いを繰り返している。
無駄な行動が多いので体力勝負になる。
まちがいさがしの間違いの方に生まれてきたような気でいたけど
まちがいさがしの正解の方じゃきっと出会えなかったと思う♪
・・・・と歌いたい気分だ。
でも私が歌うと、歌詞も音程も間違うに決まっている。
■男女差よりも個人差
櫻井博士は、「人はまちがえる」と断言している。
それは、どんなにがんばっても、人間の脳は間違いを生み出すような情報処理を行っているからだという。
しかし、脳は間違えるからこそ、わたしたちは新たなアイデアを創造し、高次機能を実現しているとも述べている。
救われた・・・・・
私のような 正確無比な “ 間違い製造マシン人間 ” でも、その構造や特質について、博士は、人間の脳の実態と特性を最新の研究成果をふまえてわかりやすく解説している。
AIは人間の脳に近づいているという言われ方をされることがある。
しかし、AIと脳とは本質的に構造が異なる。
人間の脳については未解明なことが多い。
説明がつかないことについて、オカルトやエセ科学、差別的な考えに基づいて、もっともらしい情報を発信する人がいる。
そしてそれを信じる人がいる。
根拠のない情報でも専門家の地位や肩書きによって「権威バイアス」が働き、思考や判断が正常に機能しないことは日常の中にいくらでもある。
人の性格や行動特性を血液型とか生年月日、占星術で決めることを私は一切信用していない。
右脳型人間、左脳型人間というのがひと頃流行ったが、博士は、右脳と左脳の役割は相互に補完し合っていて、必ずしも分離独立した役割を担っているわけではないということにも言及している。
社会にはさまざまな価値観や考え方、意見があるが、多様であることが受け入れられない個人は、独自の価値観や考え方、差別意識に根ざした思考に基づいて特定の属性で結論づけようとする。
例えば、男だから女だから、長男だから末っ子だから、昭和生まれだからZ世代だから、という物言いがある。
私は私自身のことを「昭和生まれの一人っ子の蟹座のAB型の男」としての性質を強調して自分を固定化するよりも、さざまな環境要因や出会いに影響を受けて生きてきた人間であり、いくらでも変われる希望の存在だと考えるようにしている。
とは言え、人は何かしら分類してどこかに位置づけたい生き物なのか。
それで進化・発展してきた功績もあるのだが。
データの集め方や解釈の仕方に恣意性があると、私たちは間違った考え方に支配されてしまう。
これは心理学の書ではない。
しかし、改めて「心」とは何か、「思考」とはどう形成されるのか、人間の本質に迫る視点が必要だと感じた。
・・・・・というような話を授業でもしてみた。
この書をどう読み込んでどう判断するか、またいろいろな意見があるのだろう。
トライ&エラーの日々は続く。