#346 さらさらと握れば指のあひだより落つ
東京の高校から依頼を受け、オンラインでプレゼン&論文の審査・評価・講評をおこなった。
高校生は科学者でもなければ医学者でもなく、特定分野の専門家でもない。それでも研究者みたいに丹念に調べ上げて中立的な立場で客観的に論文を書いたりプレゼンしていることに感心した。
特に、個人部門で心理学をテーマにした発表に心が揺さぶられた。
私が日ごろ考えていることと重ね合わせながら整理する必要があると思った。教育心理学の講義で大学生に紹介しようと思ったほどだ。
脳神経科学の進展によって、子どもの育ちと学びが脳の神経や働きに依存することが明らかになっている。
学びのあり方が他者とのコミュニケーションや相互作用のなかで起きていることを重視して同世代との協働的な学びを導入する授業が急増している。
「ひとりで学ぶ」から「みんなで学ぶ、教え合う」ことへの転換や、特別支援教育、海外にルーツをもつ子どもへの対応など、さまざまな新しい波が押し寄せている。
■ School Wide Positive Behavior Support
「学校版積極的行動支援」の広がりによって、児童生徒指導のあり方の見直しが進んでいる。
思考を切り替えられないのは大人、親、教師かもしれない。
大人は、できない子、わからない子、過ちを犯した子に対して、叱る、罰するという指導を前面に押し出しがちだ。今は厳しさだけのゼロ・トレランス(不寛容)では通用しない社会環境になっている。
現在、マルトリートメント(maltreatment:不適切な対処)=暴力・暴言、叱咤、ネグレクト、心理的的虐待等が、子どもの認知構造に大きなダメージを与え、脳が萎縮するという研究報告が示されている。
悪い事態に陥る前にプロアクティブ教育(先手、先取り)によってポジティブな言葉、声掛け、認知に対する働きかけを重視する動きになっている。
結果的にそれが不適切な行動を防ぐわけだが、躾という名のマルトリートメントにすり替えられる事例は依然として多い。
行政や民間が推進している「子育て支援」はそんなことにも目を向けている。
悲しいことに、犯罪や虞犯行為に手を染める未成年たちの多くは、成長過程で大人の手からこぼれ落ちているのだ。
子どもに「いのち」「魂」「こころ」を吹き込むのは大人の使命だ。
小さなたくさんの粒がサラサラとこぼれ落ちていく・・・・
人生を実りあるものにし、毎日を生き生きと充実したものにするために大きな鍵を握っているのは「脳」であることを今一度認識しておくべきだろう。
私たちが思っている以上に、脳は「何を食べるか」「適度に運動しているか」「どんな言葉を受け取るか(与えるか)」に大きな影響を受けている。
以前、「体は食べたものでつくられる。心は聞いた言葉でつくられる。未来は話した言葉でつくられる」について書いたことがある。
換言するなら「脳は食べたものに影響を受ける」「脳は聞いた言葉で心をつくり、行動し、未来をつくる」という言い方になるだろうか。
脳や精神・心理に関係することは、個人的な体験に基づく独りよがりやエビデンスに乏しい「信じて実践すること」では心もとない。
ひと頃のような奇をてらったトンデモ理論は鳴りを潜めたが絶滅はしていない。未だに「善意」と「ビジネスト」のグレーゾーンがある。
私自身、研究を深めれば深めるほど気になることがある。
自分はすでに大人としてそれなりに社会に適合していると信じて疑わないところがあって、「自分はこうして育ち、今は何とかやっているから、この考え方、生き方で大丈夫」「自分らしい教育を貫こう」と考えている。
それって本当に正しいのかと不安になることがある。もしかして脳の誤作動かもしれないと思うこともある。
誠実に本質を見極めようとする姿勢を持ちたい。高校生のプレゼンを聞きながら、特定分野の著書を数冊読んだくらいでわかったつもりになってはいけないと思った。
疑似科学・偽科学に基づくトンデモ常識は排除しなければならない。
高校生に負けないよう学びを深めたい。それは大学生も同じだ。
疑似科学を科学的に考える/Gijika.com
理科学研究所 脳神経科学研究センター