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#339 歩きながら考え、走っても思考し、転んでもただでは起きぬ

『新自由主義と教育改革 大阪から問う』高田一宏/岩波新書

大阪では新自由主義的な改革が大規模かつ組織的に行われてきた。

それは、教育に市場原理を取り入れることだった。

子どもや保護者に教育の質や学校の選択を促し、さらに教師や学校同士の競争を促すことによって、できるだけ安上がりに教育の質を向上させようという考え方だ。

「おっちゃん、これ高ないか?」

「買うてくれるんやったら勉強するでぇ!」

「ほんまかいな!ほな買うわ」

教育は有償の部分もあるが、公教育はビジネスではない。
国家百年の大計であり、学問だけでなく、人としてのあるべき姿を探究する営みだ。

新自由主義は、そこらへんの棲み分けが難しい。

中国語の「勉強」は「無理矢理」といった意味を表すそうだ。

つとめることを強いる」
正に表意文字。

日本では「学ぶ」「努力する」といった意味合いだろうか。

学ぶことにつとめて知識・知恵を強化しようよ。

大阪の教育改革は、橋本 徹 大阪府知事(後に大阪市長)と維新の会の理念を実現するためのいわば“実験場”だったとも言える。

上手くいったこともあるが、歴史的に背負ってきた人権・差別問題や「学校選択の自由」がかえって分断を招いたり、不登校や中退の助長につながったり、少子化の影響で学校の淘汰が進んでいくなど課題が山積している。

市場原理に基づいた“効果的な教育”に一部加担してきた自分が言うのも何だが、「競争が教育水準を向上させる」という言説はすでに破綻している今日、新たなモデルの構築が必要だと改めて感じた。

チンパンジー教授が教職志望の学生たちに言った。

教育は氷上に種をまくが如し。
砂漠に水をまくが如し。

粘り強く、辛抱強く、根気よく、地道に、愛を以てこれを為せ。

切磋琢磨できる友を得よ。

友を選ばば書を読みて、六分の侠気、四分の熱

あっ、最後だけ鉄幹の「人を恋いうる歌」を引用してしまった。

私は私の言葉でできている。
私は誰かの言葉で生かされている。

先人が築いた叡智を自分の中に取り込み、未来へつなぐのが教育であり「人づくり」なのだと思う。


学生は言った。

「先生、ボードに書いてあるその漢字、辛抱の“シン”の字が“幸”になっています」

「なーにー、やっちまったなあ。
でもな、辛抱していればやがて幸せを抱けるんだよ」

「なるほど!いや、でも、なんか・・・・」

私は転んでもただでは起きぬ。
何がなんでもすべらない話にする。