#93 むすびなおす
■結びなおすために
今日の昼食は、“おにぎらず”
妻に頼ることなく、海苔の上にご飯と好きな具を乗せてラップでくるんと巻いて包丁で切るだけなので楽ちんだ。
いや、おにぎらずとか、おむすびを、むすび直すという話じゃない。
久しぶりに真面目に書こうとすればするほど不真面目が顔を出し、冒頭から脱線している。
⬛️結びめを解く
学生と面談していると、いろんなことを結びなおす必要があるんだろうなと思うケースが増えている。
コロナ禍の影響が尾を引いているのだろうか。
固く縛られた結びめをどうやってほどこうかと苦心する。
無理矢理ほどこうとすると、警戒心が邪魔をして結びめが余計に固くなる。
カウンセリングマインドやコーチングマインドの姿勢を持ちながら、こころを解きほぐすことを試みる。
いかせん時間がかかる。
日頃授業で向き合っている学生の言動が気になれば、声をかけて面談しながら、謎解きから始める。
社会構造を見れば、政治も経済も不安要素が多い。
「曖昧で不確実な未来だから仕方ないよね」と言うだけでは、ある意味、無責任になってしまう。
未来に絶対解はないが絶望してはいけない。
「最適解」を探究するのが大学の学びである。
大学4年生は、すでに就活で内定をもらっている学生や、教員採用試験、公務員試験の結果が出ている学生もいる。
まだ決まっていない学生は徐々に焦りを感じ、精神的に追い詰められているケースもある。
もちろん、くじけずにリトライする学生だっている。
ヘラヘラと自由気ままなキャンパスライフを楽しんでいる周囲の学生たちを尻目に、入学当初から「自分はこんなお気楽な学生にはならないぞ」と心に決め、ひたすら真面目にコツコツと勉強し、成績も優秀なのに‥‥内定がもらえない。
そんな学生もいる。
以前、就活には学力(認知能力)とは別な査定があるということを書いた。
非認知能力だ。
内定をもらった学生たちだって、社会や組織との関係性において結び直しが必要なことはあるし、非認知能力のさらなる向上が必要になる。
その鍛え方は、人によってさまざまだ。
人生においてどんな物語の紡ぎ方をするかだ。
数値で示される学校型学習の成績は、正しいやり方を続けていれば成果は現れる。
地頭がいいとかよくないとか、そんなこと以前に、基礎基本を徹底する大切な時期にやるべきことをやったか、やらなかったかといことのほうが大きい。
必死に勉強で頑張ってきた学生にとって、数値化できない「見えない力」は、見えないだけに認識しづらい。
自分の非認知能力の有無や高低を客観的に見ることは不可能だ。
面接練習で「私はコミュニケーションが得意です」とアピールする学生は結構多いが、それはちょっと違うかなと感じたりもする。
勉強以外の取り組み(例えば部活とかボランティア、地域活動、同じ目標に向かって協働する作業など)をするにしても、その延長線上にある大切なことをイメージしながら取り組んでいるのとそうでないのとでは、得られるものに大きな差が出る。
そうした経験を積んでいくうちに「教科・科目の勉強とはちょっと違うぞ」ということに気付き、学びのルートマップに「次はこれが目標だ!」というものが描かれていく。
旅の過程で寄り道、回り道したっていいじゃないか。
■物語の再構築
さて、学生達の行き詰まり感をどうしようか。
彼ら、彼女らともっと早くに出会っておきたかった。
私がネガティブになってもしょうがない。
今が
“ 出会いなおし ”
“結びなおし”
の機会だと前向きに捉えたい。
モノローグ(独り言、独白)ではなく、他者との対話=ダイアローグを通じて、つまり、語ることでカタルシスを!
いや、駄洒落ではなく、私はそういうものだと信じている。
家族や教師、友人との関係の結びなおしが必要な場合もある。
関係性は「結ぶ」だけでなく、これまでにつくった結び目をほどいて、もう結んだりしないほうがよいケースだってある。
そう、もうすぐ社会人になるのだから、物理的・精神的、経済的に本当に自立する時が目の前に迫っているのだ。
飯が食える大人になるために、どこかに置き忘れてきた何かを新たな物語の中で描くしかない。
むすびなおしは時間がかかる。
学校教育を通じて、労働を通じて、社会活動、関係性の構築を通じて連続的・非連続的なリスキリングでアップデートしようじゃないか。
あ~、カタカナ(英語など)表記は嫌いだといいながら重ねて書いているじゃないか。
つまりは、むすびなおしだ。
ゆっくり焦らず。
「世界にたったひとつの私の物語」を描くために。
みんな、自分の人生を物語る文豪になるんだ。