スウェーデン音楽やブラジル音楽との出会い。レゲエだけ弾いてちゃだめだと言ったBuju Bantonのレゲエキーボーディストの思い出。ビリージョエルの歌詞。

僕は、京都に来てから、なんとスウェーデンのダンスミュージックに誘ってもらって、弾いている。
Gammal Gran というバンドだ。
https://www.youtube.com/watch?v=5eplr6uJE1U
長年スウェーデンの音楽をやっている野間友貴さんが誘ってくれた。もう5年以上前のことだ。
ベースの岡田康孝さんもその時に同時に誘われたが、彼も、インプロビゼーションやジャズ、レゲエなどを演奏するコントラバス奏者だった。
当たり前のことだが、なかなかいくら練習してもリズムが合わない。出自が違うのだからそんなにすぐ合うわけがないのだ。

まずもってお誘いの電話がきたときに、ぼくの返答の第一声は
「すみません。。ぼくは、暖かいところの音楽したやったことがないのですが・・」というものだった。気候で、自分のやってる音楽ジャンルを語るのも考えるとへんな感じだが(笑)

それでも、なぜ誘ってくれるのかを野間さんは説明してくれた。
そして、おそるおそる?はじめたみたが、だんだんと、スウェーデンという国は、アメリカのヒットチューンのトラックをのきなみ生み出している国であるということや、スウェーデンの伝統音楽のダンスミュージックもジャズやアンビエントなどとコラボしているし、となりの国、フィンランドの音楽大学では、「ワールドミュージック」の学科があり、レゲエを演奏する人もいるという。
なにより、スウェーデンのピアニストですごく好きになれる人も見つかった。

なぜ、自分が一番専門としている?ジャンル以外の音楽もやるのか?ということについては、不思議そうに首を傾げられることも多い。でもそこに自分が「そうであってもよいし、それも自分のやり方だ」と自信を持てるようになるには、けっこう長い葛藤があった。

日本でなにかを専門にしている人には常に少し付いて回る迷いではないかと思う。
「なぜあなたは、もっとそれだけに集中しないのですか?」
と問われることが、どうしても多い気がする。
それはそれで、もっともな質問だと思うし、そういう考え方、、「集中すべきだ」という考え方も、それはそれで素晴らしいと思う。

でも、ぼくの場合・・というのをここに少し書いてみたい。

そもそも最初に、そういうことがあったのは、2000年ぐらい、もう今から20年ぐらい前のことだ。
そのころもぼくはレゲエバンドで演奏していたが、ボサノバシンガーの犬塚彩子さんからやはり電話があった。いっしょにピアノ弾いてくれませんか?と誘ってくださった。ぼくの第一声の返答は
「え・・ぼくはジャマイカの音楽をやっていて・・国が違うような・・」
(笑)いまから思うとずいぶん固い返答だった気がする。
でもそれでもいいんです、と言ってくださった。
そして引き受けたものの、彼女との最初のライブではぼくはボサノバのピアノをどう弾いたものかまったくまだわからず、ボサノバギターに合わせて、なんとレゲエの「んちゃ!んちゃ!」というピアノのいわゆる「裏打ち」をしていた(笑)。かなりけったいな聞いたことないリズムになったが、犬塚さんが、「なんかおもしろいー!」と無邪気に言ってくださったので、ぼくも笑ってそれをやらせてもらってたおぼえがある。
 ずいぶん長い間デュオをやらせてもらって、結局のところブラジル音楽の真髄の部分にはとても届かなかったけど、ジョアンドナートといういまでも大好きな尊敬するピアニストを知ることができたし、犬塚さんとは何枚もアルバムに参加させてもらうことができた。また、ぼくからすると、仙人かヨーダか長老か?と思える、日本のブラジルミュージック界のレジェンド的ミュージシャンにも合うことができた。その時の衝撃もいまでも忘れない。そのこともまた書きたいと思う。
 犬塚さんと最初に出したアルバムは「ゆくえ」という題名で、これは今や知ってる人はとても少ないと思うが、ぼくのつたなさを差し引いてもかなりいいアルバムと思う。
 http://saeko.info/saeko5music.htm
 メンバーが
 犬塚彩子(vocal,guitar)
 鈴木潤(piano,vocal)
 鈴木信悟(bass)
 AlexandreOZAKI(drum,perc.)
 ベースはいまやさまざまなアーティストのプロデュースも手掛ける、Ovallの鈴木信悟さん、ドラムはいまでも僕は知ってる限り最高のブラジル音楽のドラマーと思っているアレックス。考えるとおもしろいメンバーだったと思う。

 その当時も、「自分はレゲエもまだ他のジャンルにいろいろ手を出していてもいいのだろうか?」という漠然とした「不安感」のいうようなものがあった。
 そんなころ、BUJU BANTONというレゲエの有名シンガーが東京に来ることになった。インターネットというのはおもしろいものだ、いま検索してみたら出てきた。たぶんこのときだったのだと思う。
https://tower.jp/article/news/2006/06/28/100007635

ぼくは渋谷のクアトロに行って、場所を確かめたあとだったのだと思うが、すぐ近くの渋谷の楽器屋さんのキーボード売り場に行って、なんとなくキーボードを見て回っていた。ためし弾きなんかもしてたんだと思う。
そしたら、横に、BUJU BANTONのバンドのキーボードの人がやってきていた。
 その時、なんでその人が、そうだと僕がわかったのかは今でも覚えてない。その人の顔を知ってたわけではなかったと思うのだけど、なんとなくそうかな?と思って僕が聞いてみたのかもしれない。
 とにかく僕はうれしくて、ぼくもレゲエバンドでキーボードを弾いているんです。と言った。
 そうかそうか、よろしくな。おまえはレゲエキーボーディストか。
 そのあとに、その人が僕に、聞いた。
「おまえはどういう音楽を聞いているんだ?何を練習してるんだ?」
 ぼくはうれしくて、答えた。
「レゲエです!」
そしたら、その人が、(その光景が忘れられないのだが)
人差し指をぼくの顔の前に一本たてて、ワイパーみたいに動かしながら
「チッ、チッ、チッ、それじゃだめだ。」
と言った。
「俺は、あらゆる音楽を聴く。〇〇も、〇〇も、〇〇もだ。(なにをあげていたかが忘れてしまった。)そして、クラシックもだ!」
と言って、彼は、そこにあった売り場においてあるキーボードで突然クラシックの曲をだーっっと弾き始めた。

その演奏が特に印象に残らないものだったら、ぼくは大してそのときのことを記憶にとどめてないんじゃないかと思う。
いやぁ、それはもう聞いたことがないクラシックの演奏だったし、いわゆるピアノタッチでないシンセキーボードの浅い鍵盤で弾いてるとは思えない演奏だった。
?!?!?!?
すごい。。
あっけにとられてる僕を見て笑いながら、彼は去っていった。

そのあとのBUJU BANTONのライブでの彼ももちろん素晴らしかった。
でもなによりそのときのクラシックがぼくの頭から離れなくなった。

それはクラシックのはずなのに、ものすごくレゲエを感じさせる演奏だった。

 レゲエを長いこと演奏してると、レゲエの演奏は簡単なんじゃないか?という感じで話をしてくる人がけっこういたりする(笑)
ジャズに比べたら・・とか、クラシックに比べたら・・わりとすぐ弾けるものなんじゃないか、みたいに、話をしてくる人がいたりする。
 でも、ぼくは一度もそう思ったことがない。
 世界中の音楽の中で、「え?こんなことできるの?」っていうビックリを与えてくれたキーボーディストが一番いたのが、レゲエというジャンルだった。
 そのことがまだまだ世の中では普通には伝わってないのかな、とよく思う。
 東京にいたころ知り合った、アメリカから来ていた黒人のファンクのキーボーディストが(相当上手な人だったが)最初にレゲエバンドに入ったときは、ずっと「んちゃ、んちゃ」って打つだけだから、ジャズやってる自分には簡単かと思った。でもやってみたら、ぜんぜんできなくて驚いた。と言ってたが、本当にその意味がぼくもよくわかる。
 ずっと裏を打つっていうのは相当深いことだ。
  また、そのリズムを感じ続けながらも、
 同時に、世の中のすべての音楽をある意味(悪い言葉だが)
 「パクってやる!(笑)」
 というものすごいエネルギーがある音楽がレゲエだと思うし、特に一流のジャマイカミュージシャンのスキルはなんていうんだろう、ちょっと他と違っているように思う。
 
 BUJU BANTONのキーボーディストが弾いたクラシックがかっこよかったのは、まったく昔の音楽ではなくなっていたからだ。しかも彼の音楽になっていた。
 さらに、どこか相当カジュアルなものになっていた。彼がちゃんと、「いい意味で」パクっていたのだ。
 その手さばきっていうんだろうか。。それが、生半可なクラシックのピアニストが弾く、どこか「上品」なものよりは、あっけにとられるようなびっくり!!させる技術があった。ぼくの好みだっただけなんだけど。
(もちろん、同時にほんとうにすごいクラシックのピアニストはほんとにすごいけど)

 いまでも、他の音楽をやってるときに、ふと、そのキーボーディストがやっていた「チッ、チッ、チッ」というしぐさを思い出したりする。
 くそ・・くやしいな。
と思うとともに、いろんな音楽を取り入れてやっていきたいな、と今でもまた思ったりする。

 もちろん人生に限りはあるから、死ぬまでにどこまでいけるのかなんてわからないし、自分なんて、四六時中練習してる世界中のいろんな素晴らしい鍵盤奏者に比べたら、ほんとにたいしたことはないし、これからもそうだと思う。
 そんなことは別に構わないのだ。
 ビリージョエルが歌っていた。
 「夢見続けろ。でも半分も行くと思うな」
 その言葉がぼくはすごく好きだ。半分なんてとんでもない何パーセントかしかいかないかもしれない。
 それでも、どこかに行くために夢見てるわけではない。
 大事なのは夢見続けることだ。

 やりたいことを全部やろう。人になんと言われても。
 それがぼくがレゲエから学んだひとつの大きな教えだ。

 2022.5.25
 









 



















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?