遠くの戦争より近くの幸せを
テレビを付ければニュースはウクライナ・ロシア戦争である。評論家やコメンテーターがなにやら戦況を分析しているが、明かりが煌々とするディスプレイで危機を伝えても、なにかひっ迫感が届いてこないのは私の平和ボケ所以だろうか。その感覚の起因としては物価の上昇であったり、女性の自殺者が増えたことや、コロナ渦で健康を損ねたり生活困窮に陥った人々の国内ニュースだろう。こうしたことは新聞の片隅に追いやられた。
思うのは何よりもまず私たち及びその近隣が困っていないか、危機に瀕していないかということで、そうした身近なことを疎かにして遠くの平和を語っても、偽善とまではいわないが、なにか順番が違うのではないかと思う。戦地に寄付をするなら国内で困っている人たちに回すべきで、その行為は個人では自由であっても、国の政治としてはまず自国が優先されるべきではないだろうか。はたして国がそれを行っているのかは疑問だ。日本が災害の時(たとえば3.11)は海外から多額の支援があったという事例もあるが、戦争は人災である。本当に平和を望むなら、防弾チョッキやどう使われるか分からない支援金よりも解決のメッセージを出すべきで、ロシア非難を一斉に決議しても右にならったという印象は拭えない。
いま奪われてゆく命を助けるのはもっともだが、自分たちの隣人に目配せをし身近な幸せを思うことは、ひいては真の平和への具体的な行動に繋がっていくことになるのではないだろうか。ここには何の具体性もないが、ただ筋道とはそういうものでないか。戦争当事国のような勇ましい発言がときおり日本の政治家から聞こえてくると、浮ついた日本の現状を象徴するようでそっちの方が空恐ろしくなる。
誠にありがとうございます。