形式化されたデザイン思考
「デザイン思考」
今や多くの企業が、その言葉を聞いてすぐに理解できる時代になった。
それは、新たな問いを発見し、革新的な解決策を生み出す手法として、ビジネスの世界で広く採用されている。
しかし、その普及とともに、デザイン思考が本来目指していた柔軟で創造的なプロセスから離れ、形式的なアウトプットを生み出すための、単なる工程に成り下がっていると感じる場合もある。
例えば、新しいサービス開発でもそうだし、既存プロダクトの見直しでもそうだ。ペルソナやカスタマージャーニーマップの作成が「形式的なゴール」となり、質よりも体裁を求め、形骸化しているケースを目の当たりにする。
「なぜ?」という問いを突き詰めず、表面的な"お作法"にとどまると、いくら高単価なコンサルが実践しても特別な成果は得られない。このようなプロジェクトが増えていくと、やがて「デザイン思考は期待外れだった」と感じる企業が増えてきても不思議でない。
どこに問題があるのだろう
僕自身も、こうしたプロジェクトに参加することがある。
そして考える。一体、どこに問題があるのだろうと。
デザイン思考そのものが悪いわけではない。
その実践方法、取り組む姿勢に問題があるのだ。
僕が考えるに、デザイン思考で大切なことは形式的なアウトプットではない。深い文脈理解とそれを具現化するための思考のプロセスにある。
そのプロセスを経て産まれたものを翻訳し、実現するために欠かせないのが「情報アーキテクト(IA)」の役割だと感じている。本来、顧客が欲しているのは、体裁の良い成果物ではない。そのプロダクトやサービスから得られる成果を、以下に最大化するかに尽きるはずだ。
そこで、今回は、デザイン思考が本来の姿に立ち返るために、翻訳者の役割がいかに大きいかについてまとめたい。
形式化されたデザイン思考
デザイン思考についての僕のイメージ。
それは、本来、とても柔らかいプロセスだと感じている。
そのプロセスから産まれた純度の高い問いに対して、「なぜ?」を追求し続ける。問いの設定次第で、求められるアウトプットも、到達する目的地も変わるのが本来の姿だ。
しかし、多くの企業では、このデザイン思考が形式化され、よく見るフレームワークのように扱われてしまう。繰り返すが、本来はとても柔らかいプロセスなのだ。そこから産み出された成果物は、「作り直すこと」を前提に組み上げていくものなのだが、なぜか形式的には、上流工程の「完成形」として扱われる。
市場的にも、高単価で高付加価値な工程。
納品物として、一定の体裁が求められることも少なくない。
王道パターンの提供、平準化の弊害
さらに問題なのは、僕らのような上流工程のサービス提供者すらも、定型パターンや王道パターンを、社内外の人材に教育することに重きを置いている。柔らかい工程の中にある「一般的な型」を学ぶことが重視され、文脈に応じた柔軟な対応が後回しになっている。
解りの良いアウトプット、理解されやすいワークフローは、サービス自体が平準化され、画一的なものになる兆しをはらんでいる。
結果として、企業はあらゆるリスクを最小限に抑えるべく、形式的な成果物を重視し、本来の精神からズレが生じる。定型パターンに依存することは、その革新性が失われ、得られる成果が陳腐化していくことを意味している。
本来の姿に戻るために必要なこと
では、このような落とし穴を避け、価値あるアウトプットを産み出すには、一体どうすれば良いのか?
僕は、大前提として柔らかい工程であることを理解した上で、関係者が「純度の高い文脈理解」を得るために、必要なことを組み立てていく。これこそが、デザイン思考の成功に不可欠なものだと感じている。
・なぜ、そのような問題が起こるのか
・なぜ、その行動を取るのか
この「なぜ?」を突き詰めるプロセスを通じて、利用者の潜在的なニーズが見えてくる。その理解のために、必要なことを実行し、得られたアウトプットも柔軟に修正していく。
また、ペルソナやジャーニーマップといったツールも、その形式にはこだわらず、常に新しいインサイトに基づいて進化させていく柔軟な姿勢が求められる。柔らかい工程であり、繰り返されるプロセスであることを理解し、体裁の整った固定化された納品物に満足してはいけない。反対に、クライアント側も、そのような納品物を強く求めてはいけない(はずだ)。
翻訳者の重要性
デザイン思考の成果物から、真の価値を引き出すためには、もう一つの重要な役割が存在する。それは、プロダクト開発のプロジェクトであれば、インフォメーション・アーキテクト(IA)だと考える。IAは、柔らかい工程を通して得られた洞察をもとに、具体的な体験や機能に落とし込む翻訳者として、責任ある立場を担っている。
仮に、デザイン思考から優れたインサイトが提供されたとする。でも、それを実現可能な形に変換し、利用者に届けるための設計が行われなければ、価値あるプロダクトにはならない。IAは、上流工程と下流工程をつなぎ、得られた価値を正しく具現化するための橋渡しを行う存在だ。
そのため、この役割が不足していると、プロジェクト全体として翻訳者不在のまま進行していくことになり、結果として価値が半減したプロダクトが産まれる可能性もある。
失われる価値と無駄なコスト
また、こうした一連の上流工程(デザイン思考プロセスを含む)は、人月単価が総じて高い。このプロセスを取り入れるために、企業が高額なコンサルフィーを支払っているのは周知の事実だ。
しかし、悲しいかな、形式化されたデザイン思考と、IAの圧倒的な欠如によって、期待された成果が得られないケースも少なくない。体裁と見栄えが整ったペーパーペルソナ、どこにでもあるジャーニーマップの作成に終始し、挙げ句、利用者の深いインサイトが取り込まれずに終了する。
そして、実際に、それをプロダクトやサービスに落とし込むための具体的な設計が欠けている場合、デザイン思考の成果物は曖昧なまま放置される。これが、冒頭話したコンサルフィーに見合っているのかどうか。ちょっと考えればすぐにわかるはずだ。
本質的な目的に立ち変えること
このような状況を未然に防ぐには、一体どうしたら良いのか。
それには、デザイン思考を取り入れた本来の目的に立ち返る必要がある。サービス提供者側も、企業側の担当者も、双方が考えること。
誰にも聞こえのよいワークフローが全てではないことを理解すること。
そして、形式的なアウトプットを完成形として検収するという、旧態依然としたルールを重視しないこと。
これらの認識を持った上で、上流と下流をつなぐ存在。プロジェクト全体を俯瞰して、必要な言葉で翻訳するIAの存在こそ、真の価値を引き出すカギとなる。
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