[一首評]をしている。愛をしている。愛をまた何千枚ものシャツ脱ぐように
をしている。愛をしている。愛をまた何千枚ものシャツ脱ぐように
/平尾周汰「をしている」ネットプリント「釦」より
助詞から始まるのが非常にトリッキーな一首だが、それは単に物珍しさを狙ったものではなく、歌に確かな効果をもたらしている。
「をしている。」と、「を」の前になんでも挿入しうる箱が提示されたあとで「愛」がそこに置かれると、その「なんでも」の可能性の集合、それはひどく具体性のなく軽い集合だが、そこから愛が選ばれたという対比が愛に厚み、重さ、手触りを与える。
その愛のし方というのは、「何千枚ものシャツ脱ぐ」ようなものであるという。
シャツというものは外着であり、朝ぱりっとしたシャツを着て外出し、夜帰宅して少しくたびれたシャツを脱いで眠り、翌朝またぱりっとしたシャツを着る。つまりシャツを脱ぐことは更新の一環である。
その更新が何千回も繰り返されるとき、それは目の覚めるような生まれ変わりである。まばゆく生まれ変わるような愛の体験が立ち現れる。
あるいは「をしている。」はリフレインの一部なのかもしれない。実際には「愛をしている。」が繰り返されており、その発声装置が物理的に近づいてきたために「を」から聞こえるようになったという解釈もできる。
そう捉えると「愛をしている。」は歌の範囲に収まらず延々と繰り返されており、更新のまばゆさと相まって、愛の確かな輝きを思わせる。
この一首はネットプリント「釦」に掲載されている。
セブンイレブン:47712941(〜9/3 23:59)
ローソン・ファミマ:GL4KKP95XX(〜9/4 18:00)