最期のお年玉
僕が強迫性障害になった2017年の今日(7月10日)、僕を一番可愛がってくれた父方の祖母が亡くなった。
その頃には僕の強迫性障害の症状も、もう普通に食事をすることも、普通に歩くことも出来なくなっていて、祖母が亡くなった連絡があった前日も、前日の午後18時から翌日の昼12時まで計18時間、東京のアパートの床やら壁やら風呂場やらを拭きまくり、手も洗いまくった後だった。そんな状態でもまだ生活の為の仕事をコマ数を減らしつつもしていた。あのまま東京のアパートにいたら、おそらく僕は誰にも気づかれないままアパートで独り孤独死していたことだろう。祖母が亡くなり通夜と葬儀に出席しなくてはならなくなり、翌日の仕事をキャンセルして、人や自転車にぶつかりそうになりながら、何度も来た道を戻って確認を繰り返しながら、無理矢理実家がある静岡の葬儀場に向かった。今思えば祖母が僕を実家に呼び戻してくれた。
毎年大晦日から正月は実家で、僕と両親と祖母で過ごしていた。2017年の正月もいつもと同じように過ごした。僕はもういい大人で甥っ子や親戚の子にお年玉をあげる側なのだが、毎年決まって祖母は僕にお年玉をくれた。それも僕の両親にはナイショだよと言って、ポチ袋があるとバレるので、財布から現金を出して渡してくれるのだった。
2017年の正月も、一緒にすき焼きを食べて、妹一家や親戚と一緒に過ごして、ナイショでお年玉をもらった。正月が終わり祖母がいつも生活している老人ホームに帰った後、「あ…ばあばもういないのか。寂しいな。」と思った。それが今生の別れになった。
祖母が亡くなるのと同時に強迫性障害で倒れた僕は祖母の葬儀が終わった後、実家から一歩も外に出られなくなった。1日1回の死ぬほど苦痛な食事、極限まで我慢してから行くトイレ、何度も洗い直し3時間近くかかる風呂以外は何もすることが出来ず、祖母の遺骨の前で、四十九日で納骨するまでの49日間寝続けた。納骨した夜、夢に祖母が出てきて何度も僕の名前を呼んでいた。驚いて目を覚ましたが、その後また夢に祖母が出てきて「死ぬ前に会いたかっただよ」と言っていた。2017年の春頃には、もう9月までは持たないと言われていたので、それまでに会いに行くつもりだったが思っていたよりも早くに亡くなってしまい結局会いに行けなかった。
しかし、それでよかったのではないかとも思っている。今生の別れになると分かっていて会いに行ったら、とてもじゃないが僕は再び東京には帰れなかっただろう。
2017年の正月にもらったポチ袋に入っていないお年玉9000円が、僕が人生でもらった最期のお年玉になった。