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ソーシャルワークにおける「私の考える援助観」社会福祉のレポートの参考にどうぞ。
現在、福祉分野にてソーシャルワークに携わり、社会福祉士、精神保健福祉士、公認心理師を取得した拙者が下記の参考文献をもとにソーシャルワークにおける「私の考える援助観」についてまとめたレポートです。広く発信したいと考え、noteに投稿します。後半部分は有料です。(本文2302字)
【参考文献】
✔漂流するソーシャルワーカー,志賀信夫・加美嘉史,旬報者,2024
✔ソーシャルワーカーのソダチ,後藤広史・木村淳也・荒井浩道・長沼葉月・本多勇・木下大生,生活書院,2017
✔公益財団法人社会福祉振興・試験センター,令和2年度社会福祉士・介護福祉士・精神保健福祉士就労状況調査結果(2022)
✔何者,浅井リョウ,新潮文庫,2015
ソーシャルワーカーには「時代の風」を感じ、読みとる能力が求められます。また、ソーシャルワークの過程においては、自分とは異なる存在である利用者・当事者に対し誠実に向き合い、その人生に関心を寄せ、言葉にできないその人の痛み、哀しみ、苦悩等を感じとることができる関係が求められます。(略)
このような状況を踏まえたとき、「人を援助する」とはいかなる意味をもつのでしょうか? あるいは「ソーシャルワーカー」とはいかなる営みを行う人のことをいうのでしょうか? (略)
これらの問いに答えるためには、自らの準拠している価値・倫理観のあり様を見つめ直す作業が不可欠となります。また、なぜ自分が援助専門職(ソーシャルワーカー)を目指そうとしているのか? その思いの「原点」およびその形成過程における「こだわり」(パッションとミッション)の中身を振り返る作業も必要となってくるでしょう。(略)
あなたはどのように「時代の風」を感じ、読みとっていますか? そして、その中であなたが希求し、実践していきたいと考えているソーシャルワークとはどのような ものですか?
自らの「ソーシャルワーカーとしてのアイデンティティ」を構築していくために、あなたが望ましいと考える「援助」観について “ 自分の言葉 ” で述べてください。
ソーシャルワーカーはその人の人生に携わる。その人が支援を要するタイミングによっていつ関わるかは様々だ。生を受けた瞬間かもしれないし、人生の帰路にたつ瞬間かもしれないし、死にむかう瞬間かもしれない。ソーシャルワーカーはまさに生から死に携わる仕事であるといえる。
ソーシャルワーカーや援助という言葉は社会福祉の世界では当然の共通言語として用いられている感がある。だが、実際にその定義するところについては、時代により領域により職種により、共通の意義を見出すことは困難になる。
ここでは、福祉に関する相談援助を生業とする人をソーシャルワーカーと想定する。ソーシャルワーカーはどのような人を指すのだろうか。「ソーシャルワーカーの国家資格である社会福祉士」という形容詞が浸透しているようにソーシャルワーカーと社会福祉士と関連付けて語られる事が多い。果たしてこの形容詞は適切なのだろうか。社会福祉士は名称独占の資格であるため、社会福祉士と名乗るには国家資格を取得していることが条件ではあるが、資格を取得していなくてもソーシャルワーカーとして働くことができる。そのためソーシャルワーカーと社会福祉士はイコールの関係ではない。ここで疑問がわく。ソーシャルワーカーと名乗る以上は社会福祉士の資格が求められるのだろうか。社会福祉士としての素養は国家資格で保証されるのだろうか。社会福祉の現場で働くうえでは社会福祉士という資格には一定の重みがあることも事実である。では国家資格である社会福祉士を取得したものはソーシャルワーカー足るのだろうか。どうしてソーシャルワーカーという名称のひとつをとってもイメージが漠然とするのだろうか。
ひとつの答えの提示として中野(2024)によると、これは社会福祉が人の誕生から亡くなるまでの人生に関わるものであることに関連しているからであるとしている。公益財団法人社会福祉振興・試験センターの令和2年度社会福祉士就労状況調査結果(2022)によると、高齢者福祉関係(介護老人福祉施設、居宅介護支援事業所等)の仕事に従事している人は39.3%、障害者福祉関係(障害者支援施設、相談支援事業所等)の仕事に従事している人は17.6%、医療関係(病院・診療所等)の仕事に従事している人は15.1%となっている。このように社会福祉士が、雇用される職場などにより多様な名称の職種・職員で働いていることがわかる。中野はこのような多様性は、社会福祉士が何をおこなっているのか見えにくくしてしまい、社会福祉士自身も、「社会福祉士とは何者なのか」という認識が曖昧になってしまっていると指摘している。
「何者なのか」で想起されるのは、朝井リョウ氏の「何者」である。本書は「何者かになりたい」自分が、就職活動をとおして自意識と現実との境界で揺れ動く心理描写を描いた作品である。「何者」は、学生たちが就職活動という評価軸のなかで直面する葛藤とその渦に飲み込まれながらも、悩み、もがきながらも自分自身に向き合う学生たちの姿を映し出している。表面的なプライドと自信のなさが見事に表現されている。
小説のなかでの主人公拓人は、現実では一見、他人を客観的に冷静に眺めていると自負しながらも、実際の生身の感情を吐き出せるSNS上では斜に構えた本音で他者を批判的に捉えている。そのような主人公は就職活動では、すべて不合格という烙印がおされる。「なぜ自分は内定をもらえないのか?」という現実により自分自身と向き合わなくてはならないときがやってくる。就活を通して他者評価と自己評価のアンバランスさを突きつけられていく。
主人公のようにだれもが自分が「何者か」を自問自答しながらも正解のない問いのなかで生きているのではないだろうか。この小説を読んで、私はソーシャルワーカーとはまさにこの就活生に重なるのではないかと感じた。
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