Hey Jude,don’t make it bad.
自分の小さなお財布の中から、
折り畳まれたお札を3枚出した。
それは小学生にはとても高価な買い物で、
後ろめたさでどきどきしていた。
今もその時のことをよく覚えている。
私が初めて自分で買った音楽は、
THE BEATLES の《Hey Jude》の
『レコード』だった。
お小遣いをセコセコと貯めて、
ようやく金額を満たした日。
電車に乗って何駅か先のお店に
私は出向いた。
今日こそ。ついに。
買うのだ!
♧
我が家には
ビートルズのイギリス盤のレコードが詰まった
ボックスセットがあった。
ある日、父が
『ビートルズくらい
聴いておかなくちゃ駄目だ』
と言い放って買ってきたのだった。
父はなぜかいつも
『レコード』にこだわった。
父は今現在も
CDではなくレコードをステレオにかけて、
大音量でクラシックや映画音楽などを
聴いている。
ビートルズの曲は、
それまでテレビから流れてきていた
歌謡曲や
流行りのポップミュージックとは
明らかにノリが違う音楽で、
私たちきょうだいは
すぐに夢中になった。
たくさんあるアルバムを
好き勝手な順番で手に取り、
片っ端から聴きまくった。
イラストも写真も無い
ただ真っ白なジャケットが綺麗で、
私は『White Album』から
聴き始めたのだった。
それは邪道な順番かもしれないけれど。
ある日
クラスメイトでは唯一のビートルズ仲間の家に
遊びに行った時に、
その友人が大型のステレオで
ある曲をかけてくれた。
それは確かにポールの声。
ピアノの音。
なになに?なんの曲?
これはビートルズ解散後のポールの曲?
何しろ
私の家にあるボックスセットには
入っていない曲だった。
優しくて愛しさが溢れる
美しい旋律。
それが、Hey Jude だった。
私はその曲を何度もリクエストしてかけて貰い、耳で記憶した。
友人の家からの帰り道、私は決心した。
Hey Jude を買う。
レコード貯金。
当時の私にとって、
それは無謀な試みだった。
何しろ小学生だ、お金なんて持っていない。
お小遣いはわずか。
きらきらしたシールや
可愛いメモ帳を買うことを我慢して、
友人の家に行っては曲をかけて貰い、
いつかこれを手にするのだ、と
夢見ながら聴き惚れていた。
♧
そして。
私はついに欲しかったレコードを手に入れた。
生まれて初めてレコードを買って家に帰ると、
父がいた。
なんとなく、気まずい。
すぐにでもレコードを聴きたかったのだけれど、不穏なものを感じ取った私は
とりあえず自分の部屋へ行こうとした。
しかし浅はかな小学生は、
大人の目を誤魔化すことなど出来やしない。
「レコード、買ったのか?」
私が下げていたお店の袋のロゴをチラリと見て
父が言った。
「子供のくせに、そんな高い物を買ったのか」
ほら来た。
いきなりの先制パンチの言葉が飛んできた。
ようやく手にしたレコードなのに、
私はなぜか叱られていた。
親に内緒で高価な物を買った件で。
喜びが脈打っていた気持ちは、
急速に萎んでしまった。
正統にお小遣いを貯めて買ったのに、
叱られる理由があるだろうか。
「これからは、
高価な物を買う時は、
親にひとこと相談するように」
と、父は言った。
それから
「そのレコードを貸してみろ」
と言って、
『私が』『買ったばかりの』レコードを
家のオーディオのターンテーブルに載せた。
そして部屋いっぱいに広がるほどの音量で、
Hey Jude を鳴らした。
私は嬉しいはずなのに
悔しくて悔しくて、
目に涙を溜めながら聴いていた。
私は自分で
レコードに針を落としたかった。
初めて買ったレコード。
やっと買えたレコード。
スピーカーの前に正座して
歌詞カードを目で追いながら
あの少しスモーキーなやわらかい声で
ポールが歌うHey Jude を、
全身を耳にして聴きたかった。
それなのに。
父は
ただデカい音でレコードを回し続けていた。
私を叱ったことなど忘れたかのように。
もしかしたら、
叱りはしたけれど
それはそれとして
まあ、一緒に音楽を聴こうか。
ということでもあったのか、と
考えられなくもないけれど。
「大きな音で音楽を聴くと、いいだろう?」
と、満足そうに父は言った。
♧
私の気持ちなど
なんにも知らないポールは、
それでも優しく歌いかけてきた。
(歌詞和訳。一部略)
ヘイジュード
そんなにショゲるなよ
悲しい歌だって気持ちひとつで楽しくもなる
あの娘の愛を受け入れてごらんよ
そうすれば 全てがうまくいくさ
・
辛く悲しいことがあっても
ジュードよ 勇気を出すんだ
その肩に世界中の苦悩を背負おうなんて
思っちゃいけないよ
君だってわかってるじゃないか
人生に背を向けてクールな顔してみせるのは
決して利口なやり方じゃない
・
だからくよくよ悩むのはやめて
ジュードよ、行動を起こすんだ
おまえは 恋の相手役を探しているんだろう?
だったら 今すぐにはじめるんだ
ヘイジュード 君が動き出せば
すべてがいい方向に向かうんだよ
・
友人の家で聴いた時には
幼かった私は
英語の歌詞の意味などわからなかった。
歌詞カードを手にして、
初めて知ったのだ。
自分が大好きになった曲の歌詞が
こんなに優しいものだったのだと知って、
私は胸がいっぱいになった。
メロディにも
その優しさが滲んでいるから、
言葉を理解しない私にも
この曲の良さが伝わってきたのだろう。
嬉しかった。
それはもう、嬉しかった。
♧
。。そんなわけで、
大好きだった曲は、
少し切ない思い出の曲でもあった。
私の中で一番好きなバンド
というほどの情熱は、
今ではもう薄らいでしまったけれど、
石畳の落ち葉を踏みしめる季節には
聴きたいと思う。
ビートルズには秋が似合うから。
『きみが動き出せば
全てがいい方向にむかうんだよ』
ビートルズに背中を押されて、
さあ、涙を拭いて
光の下へ出かけようじゃないか。
♧
追記。
奇しくも今日はジョン・レノンの
誕生日だった。。
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