言語化に苦手意識がなくなった
この前、家族旅行に行った。
そこで新たな発見があった。
それは「自らの言語化スキルが上がっている」ということだ。
昔のわたし
昔は、相手の主張に共感できず(いや~、わたしは違うと思うけどな)と思っていても、主張を戦わせるのが面倒くさくなり、「そうだね」と折れて、後からもやもやした気持ちを飼いならすということをしていたように思う。
いつからか分からないのだけど、経験した出来事、考えたことを主張できるようになっていたし、相手が自分の意見を間違って解釈していると思えばそれを訂正できるようになっていた。
そうすることでコミュニケーションを取るのが楽しくなった。
わたしが返すと、相手も「そうなんだ」と受け止めてくれ、「あ、普通に分かってくれるんだ。こちらが分かってくれないと決めつけていたことは間違いだったな」と思うようになった。
思えば、10代や20代前半は辛いことが多かった。
酷い言葉をぶつけられている筈なのに、麻痺しているのかあまりピンとこないから、とりあえず笑っておこうとか。
悲しいとは漠然と思うけど、どこに傷ついたのか言語化出来ないことに発露する苦しみだったように思う。
でも今は違う。
良くも悪くも知恵と自信がついたのか「この人、今自分の苛立ちをこっちにぶつけているな」とピンと来たり、「わたしの誇りを傷つける権利は貴方にはない」とか思うようになった。
「大事に育てられ、試行錯誤して作り上げた『わたし』を、傷つける権利はあなたにはない」ということを、おそらく内部からのメッセージとして発信できるようになったのだと思う。
アレン様(めっちゃ人気ですよね)が「言いやすい人と言いにくい人がいます。どうか、言いやすい人にはならないで欲しいと思います」と言っていて確かにな、と思うなどする。
でも、言語化ができるようになって、少し注意しないといけないなということがあった。
エージェントの言葉
ある時、わたしの面接練習をしてくれた専属のエージェントの方が言った。
「鈴鹿さんは自分に自信があるんだと思うんです。
わたしが1質問したら10返してくれる。それはすごい才能です。
でも一方で、鈴鹿さんが納得するまで聞くし、その聞く姿勢が攻撃的に取られることもあるかもしれない。
だから面接では取引先に接するような態度で話すことを心がけて欲しいんです」と。
「言語化して返答する力もあるから、それを素直さがない、と受け止められることもあるかもしれない」
「鈴鹿さんが主張することって、大体正しいんだと思います。自分で情報をキャッチアップして、自分でかみ砕いて最適解を出す方なので」
と言うのである。(意訳です、すみません)
わたしはかつて上司にずっと「とにかく素直だよね」と言われていたから、その総評が衝撃的だったのである。
主張が正しいことって、相手にとっては嫌なことなのかもしれないな、と思う。だってその人からすると、逃げ場なくなるもんね。かわいげもないよね。
あと、まだ何も仕事が出来ないのに、口ばかり達者で正論を言ってくる新人、どうですか。むかつきませんか。
と思い直すなどした。
あと、自分の主張を正論だと思うのは傲慢だとも思う。
それはあくまで自分の価値観に当てはめた時の正論であり、相対する人の価値観で見た時には間違った主張なのかもしれないな。
ちょこっと余談
あと、わたしが衝撃だったのが、新人が入って来ても10日くらいどんな新人かジーっと観察するというのである。
ごめん、ちょっと怖いわ。ごめんなさい。
わたしは新人が馴染めているかそっと見てあげることも先輩の役割だと思っていた。
でも「あ、そういう人もいるんだな。じゃあ次の職場でもそういう風にわたしがどんな行動するのか観察しよう、と思う人も少なからずいるのね」と理解はした。
言語化への心当たり
で、なんで言語化できるようになったのかな~と思うと。
コンサルティング営業時代、そんな出来ている自覚、なかったんだよね。
できるようになったのは最近な気がする。
去年のどん底期で、自分の経験・スキルが全く通用しない経験を経て、自分はどうすれば良かったのか、これからの戦い方とか、それらをnoteで言語化しまくったから、思考が少し深みを持ったのかなと思った。
もしくは、ライティング技能士の勉強で、強制的に毎日筆記の勉強をしていたからできたことなのかも。
わたしは結構前向きと表現されるのだけど、自分が転んだとしても絶対立ち上がろうとするし、転んだら何かを掴まないと気が済まない性格をしている。
転んだだけで終われるかよ。
転んで逃げただけなら、自分に「逃げた」という失敗体験だけ残ることになる。そんな挫折体験を大事な自分にさせるわけにはいかない、と決めている。
自分のことが好きだからこそ、愛のあるスパルタなのかもしれない。
というか、これ前向きなのかもしれないけど、もしかしてわたしめちゃくちゃ負けず嫌いだったりする?おもろい。
あと、もう一つ注意があって。自分に。
相手に自分の価値観を押し付けない
自らが積極性があるキャラクターだからと言って、他の人にその生き方を強要してはいけないということである。
強要とこちらが思っていなくても、わたしのメッセージを受け取って「鈴鹿ちゃんはすごいな。でもわたしはそんな仕事に情熱を燃やしていないし」と
言う子もいる。あ、わたしの親友なんですけども。
仕事より家庭、子ども、生活に重きを置いている人も沢山いる。
作家・津村喜久子さんが仰っていたのだけど、「人生に対して消極的であることもその人の選択肢」なのだろうな。
積極性が求められる時代だから、消極的な人は少し肩身が狭いかもしれない。
どちらかと言うとわたしのように「挑戦!自分の足りないところを見つけて勉強して補完してスキルアップしたい!」という人は少数派。
仕事に疲れている時にそういう価値観の人と会うと「うるさいな」と思うこともあるだろうし。
だからそういう人に「これやってみたら?」とか勧めることも「小さな親切、余計なお世話」だということになる。
この考え方はキャリアコンサルタントの勉強の一番最初に習う。
相手の生き方に対して自分の価値観を押し付けることは絶対してはならないのだ。
相手に請われて初めてその人の選択肢をそっと指し示す。
「黒子に徹しなさい。鈴鹿さんのおかげなんて言われるのを目指さないで!」というのはキャリアコンサルタントの講師陣の言葉である。
キャリアコンサルタントって、勉強すればするほど自分の特性とは違っているなあとしみじみ思うんだよね。
人に貢献したいっていう思いはすごくあるけど、わたしは喋るのが得意なタイプ。
キャリアコンサルタントは、聞き上手な人が向いている職業のように感じる。
でも、だからこそ傾聴技法などの自分の強みとは真逆の武器を手に入れることは自分の未来に絶対にプラスになるはずだ。
いまは時間があるから、そう思うだけかもしれないんだけど、常に言語化したい、学び続けたいと願っている。