脇役でもいいじゃない。
「目立てない。この人の陰に隠れて、私、引き立て役だ。」
「この人、私を脇役としか見てない。」
「マウンティングされて疲れるな。」
こう思ったことはないだろうか。
こんな時、どうすればいいの?
そんな貴方に、とても楽な対処法がある。
それは、喜んで相手が求めている言葉を言ってあげることだ。
もしかすると、マウンティングに屈したら自分の負けと思うかもしれない。
しかし、相手に勝ちを譲ることの出来る貴方の方が、大人だ。
安心して褒めてみて欲しい。
一度、脇役を演じてみて欲しいのだ。
そもそも脇役を強いてくる人に、無理に対抗しても敵意を持たれるだけ。
マウンティングに対抗しても、泥沼になるのがオチ。
よく巷のカフェにて、
「マウンティングしてくる人腹立つ!」
「可愛いって言って欲しいからって、『私可愛くないから…』とか言う子がウザイ!」
などと聞くが、マウンティング、自虐上等ではないか。
だって、貴方はもう、言って欲しい言葉を分かっている。
マウンティングに関して言うと、褒めて欲しいポイントをその人が提示しているのだから、そこを褒めてあげればいいだけ。
それで貴方に勝てた気になってくれるのだから、こんな楽なことはない。
喜んで、この人が言って欲しいポイントを突いてあげれば良い。
「私可愛くないから…」ならば、
「可愛いよ!」を貴方は求められている。
じゃあ言って欲しい一言を口に出せばいいのである。
言って欲しい言葉をこっちが知っているのだ。
こんなに楽な好感度の上げ方はない。
あまり好きではない人に対して、相手の意のままに褒めてあげて欲しい。
褒めたからといって、貴方の立場は揺るがないから。
逆に、一段上に立ったつもりで、この人たちの脇役になるといい。
恐らく、対抗するよりも友好的な関係性を築ける筈だ。
そして、不思議なことに褒めてみると張り合いがなくなるのか、マウンティングをされなくなる。 とても快適だ。
好意の返報性を利用して親しくなる
例えば、皆で写っている集合写真を見る時、他の人を最初に見る人はごく少数だろう。
一番先に目にするのは自分。
人間は結局のところ、自分が一番大事。
そして、一番大事な自分を尊重してくれる人を好きになる生き物なのだ。
もし、貴方にお近づきになりたい人がいるとする。
だとすれば、相手を知りたいという精神で、質問をした方がいい。
相手を立たせることで、相手に必要不可欠な存在であると思われる可能性が高いからである。
また、最初に自分から相手に好意を投げることで、相手も「お返し」をせねばという思いが強くなる。
これが「好意の返報性」だ。
要は相手に何かして貰ったら良い気持ちになり、
こっちも何かせねば、という気持ちになることである。
「沢山話しちゃったな。でも楽しくお話できた!じゃあ次は貴方のことを知りたいな」
こう思って貰えたらしめたものだ。
昔の聖人は言った。
「愛して欲しければ、まず自分から与えなさい」と。
先人たちの知恵には感嘆ものである。
さて、昨今の日本では「媚=悪」という図式が未だ根強く残っている。
どうしても、媚びているのは恥ずかしいことという思いが胸に沸き上がる。
上記のような状況、もしかすると媚に見えるかもしれない。
しかし、たとえそうだとしても、
媚上等ではないか。
「ありのまま=善」
私はそんな風には思えない。
好かれるために、美しく装ったり、欲しい言葉を言うのは、当然なのでは?
そう思ってしまう。
失恋ショコラティエという、一世を風靡したドラマがある。
石原さとみ演じるサエコは、「媚なんていやらしい!」と息巻く水川あさみにこう告げる。
「なんで媚びちゃいけないの?だって、ここに並んでいるチョコレートも、『可愛い~‼』って言ってもらう為にこんな綺麗にデコレーションして並べられてるんでしょう?何もしていなくても綺麗なら別だけど…。媚の何が悪いのかな?」
この言葉は、当時高校生だった私にとても響いた。
そしてなるべくしてなったのか、私は百貨店の販売員という道を選ぶことになる。
販売員とは、身綺麗にして、綺麗で耳障りの良い言葉をお客様に提供するのが仕事だと考えていたから、中々性に合っていたのではないかと思う。
百貨店の名脇役、販売員。
販売員は、お客様が主役なので、脇役である。
しかしながら、プロの販売員は只の脇役で終わらない。
お客様が言って欲しい言葉を巧みに伝える。
勿論お世辞だけではない。
似合っているかそうでないか、きちんと伝えることが出来るのも彼女たちの魅力の一つ。
只のイエスマンではダメだというのも、彼女たちは分かっているのである。
と言うより、
「この人は正直に言う方が喜ぶだろうな」
「この方は、耳障りの良い言葉を言って欲しいタイプだな」
ということを見極めるのが上手い。
巧みなコミュニケーション能力により、彼女たちは「名脇役」となり得るのだ。
相手を立てることで、自分も輝くことができると知っている。
「もう、貴方じゃないと買えないわ!○○さん!」
と言われている販売員はこう思っているのではないか?
「そりゃあそうよ。私、貴方が言って欲しいこと全部しているんだもの」
最後になるが、このテクニックは本当の友人、恋人にしてはいけない。
勿論、始まりはこうでもいいと思うのだ。
でも、この方法では、薄い関係性しか築けない。
この方法はあくまで「脇役」としての輝き方。
同僚Aの前では、貴方は脇役かもしれない。
しかし、貴方は本当の恋人、親友の前では「貴方の物語の主人公」なのだ。
感情の赴くままに、泣いたり、怒ったり、笑ったりするといい。
嫌なことがあったらハッキリ伝える。
深いことも、その人を想うのならば、口に出して欲しい。
本音を伝えることを恐れないで。
何故なら、貴方は脇役である前に、貴方の物語の主人公なのだから。
脇役でいいじゃない。
でも、名脇役しか演じない。
ただの脇役なんかで終わらせない。