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夢は漫画家!からのやっぱり教員!だけど最終的にチアの指導者になる人生。

お久しぶりの更新になってしまってすみません。私です。髙橋です。


さて、タイトルの通りなのですが、なぜ私がチアリーディングの指導者になったのか、お話しします。

そもそもの夢は漫画家!

小学校〜中学校前半までは、お花屋さんだとか、飲食店の店員さんだとか、歌手だとか、エアロビのインストラクターだとか、『ザ・みんな言ってるから私もそれ!』な夢しかありませんでした。エアロビに関しては習い事で、周りがそう言ってたからですね。でもなんとなく、教員になるんだろうなーとぼんやり思ってました。両親が教員なので、具体的なビジョンはそれしか浮かばなかったんですね。

さあ、では漫画家を目指し出したのは中学校2年生のころ。公式では(学校では)教員になりたい!と言いつつ、夢みてたのは漫画家でした。


当時、ワンピースに大ハマりしていた私。海賊王という謎の称号のために頑張る少年の話が学校でも読みたかったのですが、漫画は持ち込み禁止。

あ、じゃあ描けばいいんだ!と気づき、家で練習して学校でスケッチブックに描いてたんですね。今思えば、下手の極みなのですが、それでも学校でキャラに会える!というのが嬉しくてひたすら描いてましたね。そんなこんなで、画力が若干ついてきた私は漫画家もいけるんじゃねー?と思ってました。当時の私、可愛いです。悪い意味で。


中学校3年になると、ワンピースの単行本では満足できず、週刊少年ジャンプに手を出し始めます。

そこで出会ったのが

当時週刊少年ジャンプ連載中の大場つぐみ先生×小畑健先生の

【バクマン。】でした。

漫画家を目指す漫画です。この作品に出会ってしまって衝撃を受けました。高校生で漫画家を目指す、、だと??ここで、当時の私は浅はかにも漫画家を目指してしまうんですね。作品はめっちゃ面白いのでみんな読んでください。

高校に進学しても、漫画家の夢を捨てきれなかった私。漫画のセットを一式買って、練習をしてました。しかしなにせ、絵が下手で作品にまでするのがこんな難しいことなのかと、絶望しました。

当時ストーリーキングという、ネームだけで審査してもらえる部門に応募もしましたが擦りもせず。今思えば当たり前なんですけどね。確か木刀の中身が真剣になってる武器で妖怪と戦う漫画?よくわからないバトルもの?で、よくわからない部門があれば佳作でしたね。

高校最後の夏!進路を決めねばならぬ。

そんなこんなで、部活と課題、時々漫画、あとはダラーっとして過ごしてしまってなんやかんや高校最後の夏になってしまいました。進学を考える時期です。漫画家にはなりたいけど、なるのは難しいということもわかっていましたし、公式の夢(笑)である教員も悪くないなと思ってました。

じゃあ、大学は教育学部だ!

教科はなににしよう?

美術だ!

理由は三つあります。一つ目は中学校まで美術が一番得意だったから。二つ目は中学の時の美術の先生に憧れてたから。三つ目は万が一、漫画家になったときに役に立つかもしれないから。

美術の試験って何やるんすか?

教育学部の美術専攻!と目指す方向性がおおよそ決まったものの、実技試験は何をすべきなのか全くわかっていませんでした。うちの高校は美術の授業が一切ありませんので、美術教員もいません。

要項に書いてあったのは「木炭デッサン」でした。そこから何やかんやあり、アトリエに通い始め、第一志望は落ちて結局「鉛筆デッサン」を受けて、ギリギリで地元大学に滑り込み合格する話はまた今度したいと思います。

教育学部美術専攻合格!

合格したはいいものの

大学時代、それはそれはやる気のない生活を送ってましたね。あれだけ夢みてた漫画家も忘れ、お金がないので漫画すら買えず、時間はあるのに何かにチャレンジするでもなく、授業の出席は単位ギリギリ。行きたかった大学に行けなかったことを言い訳に、消極的な大学生活を送ってました。

そんな大学時代でも楽しくて頑張れたことが二つあります。


教育実習!

教育実習は先輩から、つらい!寝れない!とよく言われていたので、嫌だなと思っていたのですが、いざやってみると学校で子どもたちに授業をしたり、生活指導をしたりするのが本当に楽しく、教員向いてるかもなーと自信がつきました。大学の模擬授業でも、先生役をやればいつも褒められて(授業内容はともかく)さらに自信がつきました。

地元チアリーディングチームのコーチ!

大学時代、頑張れたことの二つ目はチアリーディングのキッズチームのコーチでした。初めは部活の先輩がやっていた体操のコーチのお手伝いという感じでしたが、私はチアリーディングの経験もあったので、チアリーディングのコーチや構成もやらせてもらい、様々なことにチャレンジできました。しかし本来であれば、ただのバイトで大学卒業と同時に辞める予定でした。


どちらを取るべきか

教員採用試験を受けて、教員になるか

個人事業主となり、チアリーディングチームの経営者になるか

大学4年生の私は卒業論文や単位取得(これは自業自得)に追われつつ、自分の人生を考えていました。

教員になれば、安定した収入が得られる。なにより、大学に行かせてもらった親に顔向けできる。教員としての資質もおそらくある。産休や育休もとれる。

でも、副業はできない。チアリーディングのコーチはボランティアで関わることができたとしても、教員は休みがかなり少ないので現実的には難しい。

チアのコーチになれば、ずっとこのまま夢を追い続けられる。なにより、今見てるこの子達は誰が指導するんだろう。

でも、収入は安定しない。大学に行かせてくれた親になんて説明しよう。福利厚生もクソもない。

どうすべきか。当時の私はやりたいこととやるべきことの間ですごく悩んでいました。経済的にゆとりのある状況ではないのはわかっていました。だけど、やりたいことはこの仕事に出会った時から変わっていなかったんだと思います。


チアリーディングチームMONSTERS発足!

歴史ある地元のジュニアチームの責任者を譲り受け、私はチアリーディングのコーチとしての人生をスタートします。練習自体は4年間やってきた実績があったので、不安はあまりありませんでしたが、なにせ社会人一年目、先輩も、上司も同僚もいない中、失敗ばかりでした。今もですが(笑)

そんなこんなで今の私があります。

結婚し、子どもが産まれ、生活は変わりましたが、私自身まだまだ夢を持って仕事をしています。やりたいことを仕事にできているのはなんて幸せなことかと、いつも感じながら働いています。

何に出会って人生どうなるかわからない。

当たり前なんですけど、この先どうなるかなんて誰もわからないんですね。ある程度の進路の選択こそすれ、未知のウイルスが蔓延することもあるし、戦争が起きることもある。事故で死ぬかもしれないし、宝くじが当たるかもしれない。宇宙から侵略者がきて、仲良くなってそっちの星でチアを教えてるかもしれない。

これまで素敵な出会いに人生を動かされたこともあれば、出会いによって苦しんだこともあります。皆そうやって作用し合いながら、人間は生きてるので、どうしようもないこともあります。

ずっと心に残ってる言葉があります。バラエティ番組でマツコデラックスさんが、なぜ芸能界に入ったのですか?と聞かれたときに「気づいたらここにいたの。流れ着いたのよー。年取るとね、求められることをするのが仕事なんだって思ってるの。」と仰っていました。

それを聞いたとき、すごく腑に落ちたというか、肩の荷が降りた感じがありました。もし路頭に迷っても、必要とされていることを頑張ってれば流れ着くんだな、と。

ドキュメンタリーでもなくバラエティの一場面なんですけどね。偉人の格言より、よっぽど心に響いてます。

幸いにも今のところ自分の居場所があり、楽しく仕事をさせていただいています。

感謝の気持ちは忘れてはいけないけれども、あまり気負わず行きたいです。子どもたちにもそうあってほしいです。

辛くても頑張った先に何か得られるなら頑張ってみてもいいと思うんです。でも辛さしか残らないなら辞めてしまっても大丈夫です。

いつかは必要とされているところに流れ着くんだと思います。

だからといって、他人任せにぼんやり生きていても何も始まりません。何事もバランスですね。頑張りすぎても苦しくなるし、さぼりすぎても苦しくなる。子どもたちには、そのバランス力も身につけてもらいたいです。

そのためには、私も含め、周りの大人が頑張りすぎず、脱力しすぎず、楽しんで仕事を頑張ってる姿を見せなくてはならない。

これが本当に難しい。

今日はザックリですが、チアリーディングを仕事にするまでを書いてみました。何か書いて欲しいテーマがあれば、なんでもリクエストください。待ってます!

#私の仕事

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