失う夏
半分フィクションだと思って、きいてほしい。
夏が苦手だ。
太陽に焦がされるのに嫌気がさすのはもちろんだが、夏という季節は生と死の境界を曖昧にする。
何かを失うことを何度もなんども意識させられる季節。
私にとって忘れられない夏の思い出は、楽しいこと、幸せなことばかりではない。
数年前の夏、先輩を失った。
中学最後の部活の大会を終え、一区切りついて別れを惜しんだりひとしきり感動の涙を流し終えたりしたあと、仲間と帰路についていた。
その途中、SNSを見ていた友達が言った。
「死んだらしいよ」
悲しいくらい空が青くて、すごく暑い夏の日だったと思う。汗ばんだ空気が急に冷え切ったように感じた。
散々泣いて、もう枯れてしまったはずの涙が溢れ出して止められなかった。
足の力が抜けて、文字通りその場に崩れ落ちた。
家に帰って、大会の結果ではなく先輩が死んだことだけ、母に伝えた気がする。
不器用な母のなんとも言えない表情を覚えている。
その後のことはよく覚えていない。
残された先輩のかけらを必死に集めたりしたけど、先輩がいなくなったことをずっと受け入れられていない。
近しい人を失った初めての日だった。
その何年後かに大切な友達も失った。
それも夏だったと思う。
そのときは頭が痺れたようで、涙もあんまり出なかった気がする。
友達とのLINEのやりとりを何度も見返した。
もう返ってこないのに。
待ってたらまた「元気?」って酔った勢いのメッセージが送られてくるんじゃないかと思った。
ごはん食べに行こうねって、中華がいいよねって約束を守ることができなかった。
自分は友達の死を後悔する資格の無い人間だと思うから、悔やんだりどうしてって言ったりすることはできないししていない。
途中で止まったLINEのやりとりと一緒に、私の彼女との時間も途中で止まって、宙ぶらりんのままだ。
祖母が亡くなったのも夏だ。
私は祖母が亡くなった後に生まれたから、祖母のことはよく知らない。
でも、祖母のやさしいほほえみをたたえた遺影は何度もみて、家族からの話を聞いて、遺された物たちを見て、あぁ、素敵な人だったんだろうなと思う。
孫が産まれるのをすごく楽しみにしていたそうだ。
お買い物が好きでおしゃれな人だったから、きっと可愛いお洋服をたくさん買ってくれただろうねと母は言う。
会ってみたかった。一緒にお買い物に行ってみたかった。
祖父の家を訪れたときは必ず仏壇に手を合わせる。
お盆にはお寺に行って、お供えをしたり、ほこりをはらったりする。
たくさんの人のお骨がいっぺんに金色の納骨壇に収められたそこにしかない空間に生きた私達がうろうろしている。
死者と生者が交じる不思議な世界だと思う。
自分たち家族以外に誰もいなくても、なんとなく声を落として話してしまう。
誰かに聴かれている気がするからだろうか。
お参りを終えて帰るとき、数珠を袋になおしながら、それについた線香の香りを微かに感じる。
私にとっての夏の香りは海の香りでも柑橘の香りでもなく、線香の煙の匂いかもしれない。
夏にはいろんなイベントがあるけれど、どれも儚くて、つい感傷的になってしまう。
燃え尽きる花火。お祭りの終了時間。帰省が終わり、帰っていく親戚。引いていく潮。沈む夕日。蝉の死骸。夏休みの終わり。
何かが終わるたび、センチメンタルが襲うたび、私は失ったものを思い出してしまう。
もう戻らない思い出に囚われ続けている。
勝手に、おいていかれた気がしている。
なんで、死んだのが自分じゃなかったんだろう。
必死に夏の風物詩に縋ってしまうのは、乗り越えられない痛みを新しい思い出で上書きしようとしているからだろうか。
たぶん、できないけれど。
乗り越えることなんて、できるのだろうか。
別れを乗り越えるってどういうことなんだろう。
大人になれない私は、別世界で彼らが生き続けていると信じ込んでいる。
これから先、また大切な誰かを失うことがあっても、そんな風に考えてしまうと思う。
そして、たまにその別世界に行ってしまいたいと思う。
おばあちゃんに叱られそうなので、まだいかないけれど。
夏というだけでずっと会えなくなった人たちのことを思ってしまう。
こんな季節早く終わってしまえばいいのに。
8月になれば、地元では平和の大切さを示すためのサイレンが鳴る。
このサイレンの中、どれだけの人が亡くなったんだろう。
語り手のおばあさんの苦しげな声を思い出す。
全校集会で、資料館で見たものを思い出す。
溶けてしまうような暑さの中で、繰り返し人同士が殺し合った歴史について考えていた。
夏は目を背けられない死の情景がたくさんある。多すぎる。
大切な誰かと夏の空気を吸いながら、その度に今ここにいない人のことを思い出してしまうのだろう。
本当の夏を楽しめる日は来るのだろうか。そもそも、来てほしいと思っているのだろうか。
もしかすると、自分が夏に囚われたいと願ってしまっているのかもしれない。
どう生きていようが夏は毎年やってくるし、私はそのたびに死をおもってしまうんだろう。
まるで終わらない夏休みに取り残された子どもみたいに。