共鳴
僕が彼らに出会ったのは、2017年。
高校2年生の時だった。
それまで邦ロック、という類に全く触れてこなかった人生だったが、SEKAI NO OWARI のとある曲に出会ったことで、他にも邦ロックを聴き始めたタイミングだった。
SEKAI NO OWARIは元より、他にもバンドのことをもっと知りたい!
当時の僕は純粋にそう思った。
例えばロッキンのタイムスケジュールを見た時に、僕にわかる名前がひとつも無かったからだ。
僕は当時のクラスメイトにオススメを聞いた。
初めて聞くバンド名。染まっていく自分。
しっくりくる世界に出会えたことで高揚している僕に、ある友人が教えてくれた。
「ミセスとか好きそう。」
ミセス??
その先にグリーンなアップルが続くことすら知らなかった。
教えて貰ったのでYouTubeを聴きに行く。
ドンピシャだった。
正直なところ、色々と友人に教わったバンドを聞き漁っても、SEKAI NO OWARI程、全ての曲が刺さるバンドはなかった。
そこまで感性が合うのも珍しいし仕方ないよな、と諦めかけたところでのミセス。
これだ!と思った。
余談だが、この流れでsumikaにも出会い、以後僕の人生の3大バンドが決まった。
当時からミセスは優しかった。
何にも納得出来ない自分を今のままでいいと認めてくれる存在であり、
高校に通うその行為を、青春と唄い彩ってくれた。
僕は1人で通学したい派だったので、毎朝学校に着くまでの時間、Beatsのヘッドフォンでミセスを聴いた。
学校が特別嫌いなこともなかったが、それでも当時なりに色々な悩みはあった。
受験も嫌だったし、自分のパーソナリティにも沢山立ち止まった。
今では流せる些細なことを流せないのが、僕の青春だった。
それを、ミセスが軽やかに受け止めてくれる。
僕は、高校生というタイミングでミセスに出会えた事が、最も幸いであった。
受験という壁が立ちはだかった時、"僕のこと"がリリースされ、泣いた。
卒業式の後、家でひとり"春愁"を聴き、また泣いた。
当時の僕にとって得体の知れなかった感情に出会った時、それを求めているかたちに美しく濾過し、振り返った時に青春という名のものにしてくれたのは、間違いなくミセスだった。
僕の人生にはミセスが必要になった。
勿論、僕は大学生になってもミセスを愛した。
今度は大学生のタイミングで"インフェルノ"がリリースされ、自分の人生をリアルタイムに追いかけられているかのような錯覚を起こせる程、心酔した。
高校時代、僕は受験で忙しく、ライブに行けなかった。
だから、僕が初めて行ったミセスのライブは、2019年。エデンの園だった。
初めて、僕の愛する5人を見た。
そしてそれは、最初であると同時に、最後の景色でもあった。
その時は必ず戻ってくると信じて、寂しさを抱えつつも、あまり苦しまずに手を振ることが出来た。
約束通り、彼らは帰ってきた。
しかし、人数が減っていた。
ミセスが、形を変えた。
すごく大きな衝撃が僕の中を走った。
そんな不安は、"ニュー・マイ・ノーマル"を聴いて少し消えた。
なんだ、やっぱり刺さる。
ミセスは、ミセスなんだ。
その後にリリースされる曲も、きちんと全て刺さった。
ミセスの世界を、変わらず愛せる。
フェーズ2と言えど、大きく変わらなかったことが僕にとっての救いだった。
それでも。
どこか、遠くに行ってしまった感覚は拭えなかった。
それまで僕が愛していたものは、確かにバンドだったはずなのに、いつしか教祖様を見ている様な気さえした。
ひとつのバンドを追いかけた時の規模感と、明らかに何かが変わってきている。
それが、嫌なんじゃない。
ただ、遠い気がしたのだ。
その違和感が今回のライブで解された。
ZENJIN MITO TO WELTRAUM
今回僕は申し込みが遅くなったこともあり、横浜スタジアムのかなり上の方の席だった。
夕日が沈んでいき、風が気持ちいい。
さっきまであんなに汗をかき、野外ライブに怯えていたのに、いざ始まってみると、それは僕にとって夏の始まりを爽やかに告げるものであった。
軽やかに乾杯。
VIPに胸が震え、ロマンチシズムに心を踊らせる。
ツキマシテハで僕は確信した。
フェーズ1の頃の楽曲を聴くと、それを正に愛した時の自分の陽炎を見た。
既に1曲1曲が、自分の中に丸ごと染み込んでいて、自分の血肉の1部になっている気がした。
フェーズ2は、まだそれが無い。
きっと、曲に出会ってからの年月の差であろうが、それが無性に寂しかった。
こんなに、違いがあったっけと驚いた。
ぼんやりと抱いていた違和感を、目の前でミセスが解いてくれた。
2回目のアンコールで、インディーズ第1曲、"我逢人"を歌ってくれた時、僕は泣いていた。
エデンの園のアンコールで、5人だった彼らを見送った曲が、正に我逢人だったからだ。
あの時は横浜アリーナだったのに。
今や横浜スタジアムで4万人を前に歌い、4万の光に照らされた3人は、もう、あの時みたいに、「ひとつのバンド」と括るには無理のある存在な気がした。
目の前にいるのに、遠ざかって行く。
隣にいて欲しいのに、見上げるべき存在な気がしてくる。
やっと、フェーズ2として戻ってきてからの感情を、自分の中に飲み込めた。
思えば、客層もかなり変わった。
昔は若者が若者を集めた様な、どこか仲間内で安心感のある箱だった。
明らかに、年齢層が広がった。
小学生のような子から、今までバンドのライブでは見たこともない様なマダムまで沢山居た。
そういえば、昔はミセスを聴く僕を見ても全く刺さっていなかった母親でさえ、ライブに行ってみたいと言い始めていた。
ミセスが主語の規模を大きくしたことで、必然刺さる規模も広がった。
きっとそれは進化であり、ファンなら喜ぶべきなのだろう。
進化のない存在に待ち受けているのは、衰退だ。
僕の愛するものは、ずっとずっと、続いて欲しい。
それは、本音で願っている事だ。
それでも、やっぱり寂しい。
このふたつの感情が、物凄く綺麗に共存してしまった。
そんな僕を見透かすかのように、大森さんは最後に言った。
「会場の規模も、主語も、大きくなったけど、僕らは何も変わらない。ミセスとしてやりたいことも、ミセスが在り続ける意味も、何も変わらない。」
そうか。
変わったものは確かにあっても、同時に変わらないものも確かにあるのだ。
我逢人から、彼らは誰かを救おうとしてくれていて、
きっとそれがより多くの人に必要になっただけ。
当人が変わらないと言ってくれたことで、僕は救われた。
最後のケセラセラは、目の前が潤んでよく見えなかった。
いつかきっと、フェーズ2の曲も僕の血肉となり、僕の中に溶けこまれるのだろう。
僕の席からは、周りのビルも、コンビニすらも見えた。
日常の中に、突如としてミセスの創る空間がそこにぽっかりと存在していた。
夏の為のセットリスト。
夕暮れから夜にかけて、ペンライトが光ゆく様。
僕の愛するミセスが、確かにそこにあった。
少しばかり古参ぶった自我を拗らせてしまった僕は、ミセスが解いてくれたこの感情を、今はまだ手放さないことに決めた。
いつか、昔のミセス、今のミセスなんて、そんな野暮な区別をせず、ミセスをミセスとして愛したい。
僕にとってのミセスは、教祖様のように上から手を差し伸べる存在ではなく、心からの共鳴を捧げるバンドなのだ。
スタジアムを出ると、さっきまでの涼しさが嘘のように暑く感じた。
会場解体の為だろうか、待機している大勢のスタッフさんを見かけた。
人波に呑まれながら駅に向かい、暑苦しい電車に乗る。
僕の夏が、始まった。