楽屋で、幕の内。| 誕生日、猫と再びバトル(猫飼い戦記 植物との共生編 6)Oct.9
のど元過ぎれば、熱さ忘れる。一年後、私の誕生日がやってきた。
今年もちょっと奮発してあの店のケーキを買ってこよう。すぐ売り切れるから、午前中に行ってこよう。誕生日は自腹で家族にケーキを買うことにしている。好みがバラバラなので、ホールではなく1ピースを人数分買う。
この店は複雑なレシピのケーキばかりで、味が想像しにくい。だが口に入れると「こう来たか!」と驚き、世の中にはまだ知らない味があるんだな、と感銘を受ける。そんなケーキなので、電話での予約注文は私には難しい。店員さんに尋ねながら店で購入する方がいいのだ。ひとり一人の好みを考えて選ぶのは毎回悩むが、楽しい。年に一度の家族への大感謝祭だ。
息子が数日前から「何か欲しいものある?」と聞いてくれるが、「ありがとう、気持ちだけで十分よ」と答えていた。いやあ、あのよだれべろべろの赤ちゃんが、こんなことを言うようになってと、ほろり。誕生日当日、夏休み明けの最初の休みなので、息子は遊びに出かけた。
夕方、帰宅した息子が、
「お母さん、これ。誕生日プレゼント。お母さんにいいかなと思って」。
サプライズのプレゼントに喜び驚く私。
だが、だが、ですよ。
息子が私の誕生日プレゼントにくれたのは、今年も観葉植物だったのだ。ポトスで、種類は班が入ったマーブルクイーン(植木鉢に挿された札に書いてあった)。
ちょっと待ってくれ。
「…あ、有難う。嬉しい、嬉しいよ。だけどね、去年ほら、やられたじゃない」
『殺(や)られた』と、私の頭の中では漢字変換していた。去年、息子からの誕生日プレゼントの多肉植物カランコエはうちの猫に殺られたのだ。詳細は戦記4を読んでいただければ、と思う。攻防が大変だったじゃないか、それなのになぜだ、息子よ。昨夏、夏休みの余韻が残る中での、猫とのあの熱い戦い(バトル)を覚えてないのか。
私の誕生日は2年連続、戦闘体勢に突入した。
なぜ敢えて観葉植物を誕生日にプレゼントにしたのか。息子に尋ねると
「猫が観葉植物をダメにして、なくなって。緑(みどり)がないとお母さん、嫌かなと思った」
ああ、そうだったの。そうだったのね。私への優しさからだったのだ。
てっきり、「生とはなにか。誕生日に考えよ。修行にいそしまれよ」という、謎の高僧から伝達された、私あての禅問答の公案かと思った。だって、困難が待ち受けるはずの植物をまたプレゼントするとは、あまりにも訳が分からなすぎた。
「…もう押し入れに入れるしかないのでは」
諦め気味の私。押し入れに入れた時点で、植物が生きるのは無理。
「ベランダも無理だよね。猫、アルミの柵もほいほい歩けるようになった」と夫。
ヤマアジサイをベランダにハンギングして、猫が手を出させない作戦(戦記3)で人間側は失敗したが、うちの猫はアパート3階、地上から約7m、幅わずか4cmのベランダの柵の上を歩くことに成功し、堂々と毎日歩いている。諦めず、継続することの大切さを人間に教えてくれた、ありがたい教育猫。ボリショイサーカスでパフォーマンスをしても恥ずかしくない、トップアーティストに成長した。
結論は出ない。猫にバレないように、ビニール袋に入れて、また夜のベランダの物干竿にぶら下げられたままのポトス。
とにかく、ケーキを食べよう。ケーキ。
おかしいなぁ。楽しい誕生日のはずが、作戦会議をして頭をフル回転させながら同じ店のケーキを同じ皿で、家族3人で食べている。しかも2年連続。デジャブすぎて、実は同じ時間と場所を何度も通っているんじゃないかと思う。まずい、無限ループから抜け出さなければ。
猫はまだポトスの存在に気付いていない、とりあえず。
何の作も出ないまま、私の素敵な誕生日はおしまいとなった。
(次回に続く)
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