楽屋で、幕の内。| 休戦。戦士の休暇(猫飼い戦記 植物との共生編 5)Sep.12
猫と植物との共生は、無理なのかもしれない。
ここで白旗をあげるのか。
これまでいくつの戦いがあっただろう。土をほじられ、葉をちぎられ、囲いは破壊され。だが、植物のくくりに入れさせてもらえるなら、被害がないものがある。切り花だ。
花瓶に生けてもたまーに噛まれるくらいで、引きずり出されることもない。つぼみから花が咲いても興味がないようだ。ただ、花瓶の花は枯れたら捨てることになる。
違う、私は植物を育てたいのだ。育てる能力はさて置くとして、植物のある生活がしたい。
ガーデニングへの渇望を満たすように、花を生ける。洗面器を持ってくる。花の水切りのためだ。水を汲み茎を浸し、切る。茎がぷかぷかと水に浮かぶ。こんな面白いものに猫が寄ってこないはずがない。
「なになになになになになに」。ほっといてくれたらいいのに、必ず見に来るのだ。洗面器の中を覗き込むから、そのうち一緒にヒゲ切るよ。
そして花の種類によるが、切り花の包みをテーブルに置くと必ず頭からつっこみ、全身を花にすりつけるのだ。その様子はあれだ、猫がマタタビでトリップとしているときと同じ。ちなみにうちの猫はマタタビではあまり興奮しない。先代猫はマタタビ大好きだったのに。
ここで、地道に重ねた研究を公表する。「猫により反応する香りには個体差があり、ひとつとは限らない」説(仮説)である。というのが、うちの猫が“サイコーにトリップ”できるブツがもうひとつあるからだ。
「今日もいいブツがありますぜ。おっとそう簡単には渡せないねぇ…。あんた、この前の払いはしたっけなぁ? 代わりに何をもらおうかねぇ」
私はブツの売人になる。ブツがあるとき、猫は必ずやってくる。自分に必要なことだけは記憶力のいい猫は、私の動作をみて察するのだ。
「最高の気分にしてくれる、あれ、あるんだよね。ねぇ、どこ、どこだよ」
と猫が詰め寄る。薬物中毒とはこんな感じかもしれない。売人である自分のやっていることに罪悪感を覚えながらも、「食っていくためには仕方ない。すまんな」と心の中で形だけの詫びをいれて
「仕方ねぇなぁ、ほらよ。今日は特にいいブツだ」
とぐいっと差し出す。猫は匂いを嗅ぎ、場所を見つけてあっという間に体をすりつけてトリップを始める。おっ、今日は効きが強いみたいだな。
猫が心ゆくまで堪能するのは息子の体操服だ。汗をかいた息子の体操服が昔から大好きで、洗濯のために脱衣籠から引っ張り出すと猫が寄ってくる。息子があどけない子供から思春期になり男臭くなっても、猫の態度は変わらない。
部活の練習がハードだったときのブツなど、トリップ具合がちがう。頭を床にゴンゴンと打ち付けながら、体操服ともつれあいながら転がり続ける。大丈夫か、脳味噌がとけてないか、このままあっちの世界から帰って来れないんじゃないか、と心配になるほどだ。
では、人間の汗が好きなのか、というとそうではない。私の洗濯前の服を「こちらもいかがでしょうか」と猫の顔に近づけるが、興味ゼロ。ちょっと、いや、結構悲しい。何が違うのか、私も嗅ぎ比べるが息子の汗の魅力はちっとも分からないというか、分かりたくないし分かってたまるか。あまり嗅ぎたくない。
美しい花と息子の汗と土でどろどろの体操服、もう共通項すら思いつかない。この2つを同じ扱いにする猫。一緒に暮らしているからと、猫を理解した気になるのは幻想だ。異種生物間でも異星人プレデターとのほうが意思疎通できて、理解できる自信がある。猫との戦いに勝ったら勇者の証しをくれますか、プレデター。
やはり戦いを続けるしかないのか。猫飼い戦士のつかの間の休日はこうして終わった。