【ジュビロ磐田⚽️】【雑感】最後の試合。
私事ではありますが、
2023年ゴールデンウィーク初日に行われたヤマハスタジアムでの徳島との一戦は、最後の試合でありました。
■成長
天気のいい日に公園で息子とサッカーボールを蹴る。サッカー好きの父親なら誰もが思い描く光景。
待望の第一子が女の子だと知ったとき、心から感激したのと同時に僕はサッカーボールというキーワードを少しだけ胸の奥のほうに押し込みました。
別に女の子だってサッカーで遊べばいいのでは?
そういう意見が聞こえてきそうだけど、小さな子供にだって意思はある。彼女が好きだったのはスポーツや恐竜ではなく、シルバニアファミリーなどの人形遊びと、それからプリキュアごっこだった。
それは第二子の次女が生まれた時も同じ。違ったのはプリキュアの種類だけ。
僕がテレビでサッカーを見ていると子供たちは「つまらない」と囃し立て、遊び場へと拉致する。何度も何度もプリキュアのセリフをねだり、同じ件(くだり)を繰り返しさせられる。
そうこうしているうちにサッカーの試合は終了を迎えていて、そのたびに僕は落胆した。「どうせ観れないならやめれば」という妻の助言でDAZNを解約し、その日から僕は本格的にプリキュアの一員になった。
子育てとは自己犠牲なのか。
少子化対策に貢献することは我慢と隣り合わせなのか。未婚者が聞けば結婚や出産の魅力をそぎ落とすようなエピソードだけど、安心してほしい。
僕は一つの解決策を思いつく。
洗脳したのだ。彼女たちを。サックスブルーに。
詳しい洗脳方法はこちらに書いた。
結論から言うとこれはうまくいった。初めてスタジアムに行ったとき長女は8歳。それから約6年間。サッカー観戦と子育てを両立した夢のような時間だった。
そして、
そんな尊い時間にも終わりはやってくる。
「子供の成長」とは嬉しい反面、一方で少し残酷だ。毎晩のように抱っこして寝かしつけていた頃のあの進まない時計の針とは逆に、手がかからなくなってからはあっという間に時は過ぎた。
泣いて抱っこさせてもらえるのも今だけよ。と、どこかのベテランお母さんが言っていたけどその通りだった。
そしてそれはつまり、今は自分がそれを伝える立場になった事を意味しており、それだけ月日が流れた証拠でもある。
時間がたてば、子も育つ。
そりゃいつまで経っても「パパと一緒」とはいかない。つまりは親だって、成長しなくちゃいけない。子離れだ。
これが最後になるだろうな。
そう思って僕は、4/29のホームヤマハスタジアムでのサッカー観戦を提案した。
娘たちは少し考えて、それから快諾してくれた。
「行こう。勝てるといいね。」
■青い鳥のスタンプ
子供たちは横浜市内の公立校に通っている。
やはりというか、校内のサッカー好きはそのほとんどがマリノスサポか川崎サポだという。
しかし彼女は負けていない。校内に唯一といっていいジュビロ磐田サポーターを堂々と名乗っている。
長女は中学生になってからバレーボール部に入部した。
これまでスポーツとは全く無縁だったため正直驚いたけれど、厳しい顧問にしごかれながらレギュラー獲得を目指して日々研鑽している。
これも少なからず球技観戦に触れてきた影響なのかもしれない。
そんな彼女が、バレー部内のLINEで少し話題になった時があった。
「あの青い鳥は何?」
バレー部の子たちはあまりサッカーを知らない。彼女たちからすればうちの長女が送り付ける顔色の悪い鳥が不思議に映ったのも無理はない。
しかし彼女は動じない。
横浜市内の中学生女子が繰り広げるライングループにジュビロくんがいる。よくよく考えるとちょっと面白い。なかなかの奇跡じゃないか笑。
そんな彼女も部活動と学業の両立にかなり苦慮している。つまり両方においてとても良く頑張っている。
気が付けば自分の生活圏内で、自分の考えでもって強く正しく生きている。そんな彼女を尊敬すると同時に、もう親が気を使って遊びに連れ出す年齢ではないのだな、と感じるようになった。
そもそも毎週末部活が入っていて、サッカー観戦とは部活の欠席を意味する。レギュラーを獲りたい彼女にとってそれは、単なる1回の欠席ではない。春からは新入部員も入ってくる。
いつからかサッカー観戦に誘いづらくなった。
ジュビロ磐田が嫌いになったのではない。彼女たちは彼女たちの生活圏で、必死に生きているのだ。
■ジュビロ磐田との歩み
彼女たちのロールモデルは、
地元が磐田ではないにもかかわらず親の実家の近くという理由でジュビロサポになってしまった田中真琴さんだ。彼女からは本当にたくさんの勇気をもらった。
しかし一つ違いがあるとすれば、それは見てきた試合の勝率かもしれない。
ちなみにこれが長女の観戦履歴。
晴れて勝つ。
まともな思い出は山田選手の劇的ゴールで勝った大宮戦ぐらい。彼女はサックスブルーに思いを馳せて以来、これといった良質な経験を得ていない。
全方位をマリノス、川崎サポに囲まれながらも青い鳥スタンプを送り付けて孤軍奮闘する彼女には、肝心のチームからほとんど援護射撃が無いと言っていい。
そんな長女と見に行く「最後」と銘打った徳島戦。何としても勝ちたい。勝ってホームのサポーターがみんなで喜ぶ姿を見せてあげたかった。
それは僕が勝手に始めた物語のフィナーレとしてでもあるし、その物語の主人公にさせられた彼女たちの思い出が、最後ぐらい痛快で楽しいものになって欲しかったから。
結果はご存じの通り。彼女たちとの思い出は、またも黒星とセットだった。
本当に申し訳ない。
■お願い
それは約40試合あるシーズンのたった1つかもしれない。でも一方で、誰かにとってはたった1つの大事な試合かもしれない。
全試合勝つことは不可能だけど、負けていい試合などない。これもたぶん正しい考えだと思う。
僕が洗脳した彼女たちはこれからどんどん成長して、あっという間に親の手の届かないところに行くだろう。
それはいい。それが正しい姿だから。
しかし将来、
サックスブルーの良い思い出が心のどこかに少しでもあって、一人で、あるいは新しくできた友達と「久しぶりにヤマハスタジアムに行ってみようかな」「日産のアウェイに行ってみようかな」と思ったときスタジアムのゴール裏、あるいはサックスブルーで埋まるスタンド席が彼女たちを快く受け入れてくれたらこんなに嬉しいことはない。
それからそれから、
ずっと信じてたものが誇らしい存在に変わって、人生を後押しする強さの象徴になっていたらこんなに嬉しいことはない。
僕と子供たちにとっての最後の試合はとても悔しい想い出になったけど、一方でこれから100年以上続くであろうジュビロ磐田の、何かの始まりになっていればこんなに嬉しいことはない。
ジュビロ磐田とジュビロ磐田サポーターの皆さん。
僕の娘たちをよろしくお願いいたします。
僕はやれるだけのことはやりました。あとはよろしくお願いいたします。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。