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【#みんなの防災ガイド】人と人とのつながりがライフラインになった~「地震県」に住む私の場合
こんにちは!
私は「地震が多い」と言われる、宮城県で暮らしています。
実際に強い地震は多いです(笑)
今年の2月から5月にかけては、震度5クラスの地震に3回も見舞われました。
今の私は、コロナも怖いですが、地震の恐怖の方が現実味があります。
おそらく、10年前に東日本大震災を経験したからかもしれません。
その時のことを振り返ってみたいと思います。
東日本大震災の時のこと
私は仙台市内で、仕事中に被災しました。
職場も、当時住んでいた家も内陸部だったので、津波の被害はなし。
しかし、電気・ガス・水道すべてのライフラインが使えなくなりました。
その時に助けられたのが「リアルな人との繋がり」でした。
被災直後のことです。
私の実家は、山の中にあり、かつて新興住宅地と呼ばれていました。周囲はコンビニくらいしか店がなく、田んぼや畑に囲まれたところです。
入居時期が同じ人たちが多いので、ほどよい距離感での近所付き合いもありました。
地震の翌日、家の近くにいた、近所の人たちに話しかけられました。「怖かったね~」「家の中、大丈夫だった?」と互いの無事を確認しあった後、「食べるものどうする?」という話になりました。
その時、本格的にアウトドアをしている人がいて、
「それぞれの家にある食材を持ち寄って、炊き出しをしよう。うちに、キャンプ用の調理機が一式あるから、それを使おう!!」
と提案してくれました。
冷蔵庫が使えないので、食材は腐ってしまう、店も閉まっている。
その場にいた人たちが食材をとりに帰りました。
数分後、10軒ほどの家から乾麺、冷凍ご飯、野菜、肉など多くの材料が集まりました。調味料もあったので、「おじや」をみんなで作りました。
水を使えないので、まな板にサランラップを敷いて肉を切るなど、不便さはもちろんありました。
けれども、近所の人たちと他愛ないおしゃべりをしながら作業する時間は、絶えない余震の恐怖を和らげてくれました。
互いに「怖かった」と口に出し、共感し、安心したのを覚えています。
「おじや」は具だくさんの豪華版になり、「ホッとするね」「美味しいね~」と言い合いながら、食べました。
炊き出しは2日で終わりましたが、他にも同級生の農家さんに井戸水を分けてもらったり、町内会が非常食を手に様子を見にきてくれたり…と人に助けられる場面が多くありました。
リアルなつながりなので、相手の顔が見えます。Twitterなどの情報もだいぶ役に立ちましたが、それとは比べ物にならないほどの安心感をもたらしてくれました。
「人と人とのつながりが、ライフラインになる」
この言葉は、昨年イベント取材をした際、主催者の方のから出てきた言葉です。
彼は、津波で甚大な被害を受け、避難生活を送ったときにその事を実感したそう。
被災地でのボランティアを積み重ねた後、「人と人が繋がれる場所を作ること」をライフワークに活動されています。(詳しくは下記URL)
https://tohoku360.com/muranozi/
この言葉を聞いたとき、自分の体験から思わず共感してしまいました。
防災用品を準備したり、訓練に参加したりすることも大切なこと。
ただ、いざとなったときに助けてくれたのは人との繋がりでした。
おわりに
震災以来、水のストックは切らさない、車のガソリンは半分になったらすぐ給油など心がけています。(たまに忘れるけど)
けど、友人、同僚、近所など身近な人との繋がりを大切にするようになりました。
災害はいつ、どこで起こるかは誰にもわかりません。そう思うと怖くなることもありますが、人との繋がりがあると心の拠り所となるかもしれません。
なんてことを感じる、「地震県」住民でした。