三連休で感じたこと色々
今日は、母の姉、つまり私にとっての伯母が
愛知から遊びに来ていた。
私は今日出掛ける予定があったので
ほんのちょっとしか顔を合わせることが
できなかったけれど、
久々に会えてすごく嬉しかったなあ〜。
伯母さんの娘、
つまり私にとっての従姉妹のお姉ちゃんは
今年40歳になったそうで、
そうか、姉ちゃんって私の10個上だったのか!と
なんだか拍子抜けしてしまった。
昔は、姉ちゃんは大人っぽくて
私よりもうんと年上だと思っていたから、
今年姉ちゃんが40歳と聞いて、
なんだ、今考えたら案外似たようなもんじゃん!
と、なんだかその存在を身近に感じた。
姉ちゃんは今年、一軒家を購入したそう。
彼女は独身だ。
独身で、しかも女性で、一軒家を買おうと考えて
それを実行に移した姉ちゃんの話を聞いて、
私はしみじみと、いや〜流石だな〜と思った。
そして、こういう意思の強さが、
やっぱり私の従姉妹だな、と思った。笑
今から10年ほど前、
それこそ姉ちゃんが今の私と同じくらいの歳の頃、
彼女が色んな人に「まだ結婚しないのか」
と言われているのを散々見てきた。
その度に、まあね〜どうかね〜と笑いながら
適当にはぐらかしていた姉ちゃんの気持ちが、
今となっては痛いほど分かる。
あれは心配なんかじゃない、
心配という体を成した攻撃なのだ。
親族だとしても、赤の他人に、
自分の人生に対して口出しされたくないのは
誰だって一緒だろう。
みんな大人なのに
そんなことも分からないのか、と、
ハタチだった私は心の中で
怒りに震えていた記憶がある。
周りの親戚のおじさんたちを
絶対ウザいなと思っていたはずなのに、
ブチギレていないだけ姉ちゃんは偉いな、
と今は思う。
そして、そんな周りの声を物ともせずに
ここまで自分の意思を貫き通す姉ちゃんを、
心底、かっこいいな〜痺れるな〜と思った。
やっぱり、私の従姉妹はこうでなくっちゃ。笑
私はそんな姉ちゃんをずっと尊敬している。
また、久しぶりに会いたいなあ。
・・・
伯母との短い再会を果たして満たされた私は、
予定通りお出かけしに外へ出る。
最近の楽しみは、
一眼レフを持ってお出かけすること。
三連休は一眼レフでたくさん写真を撮って
すごく楽しかったなあ。
というのも私は最近、
引っ越しのあれこれをしている中で
使っていなかった一眼レフを見つけ出して
それでなんとなく写真を撮り始めてみたら
見事にカメラにハマってしまったのだった。
やっぱり、写真好きでカメラを色々揃えていた
祖父の血を継いでいるのだろうか。
祖父は、一眼レフのめちゃくちゃいいやつ、
みたいなカメラをおそらく使っていて、
小さい頃は祖父が湖に野鳥を撮りに行くのに
よく連れて行ってもらったものだった。
彼はバカでかい望遠レンズを
何個も持っていた気がするんだけれど、
それらは一体この家のどこにあるのだろう。
実家に移り住んでからというもの、
この家があまりにも広すぎて
色んなものが色んなところに埋もれていることを
いいんだか悪いんだか…と何度も思った。
無駄に広くて収納もたくさんあって、
なんでもかんでも残しておけるから
その分祖父や祖母の荷物も多く、
それらを片付けるのもなかなか大変だったが、
祖父のカメラだけは見つからなかった。
亡くなる前に売ってしまったのだろうか?
それとも、
まだこの家のどこかに埋もれているのだろうか…
まあそんなこんなで、
私は今唐突に自分の一眼を手に入れて
(というか家の中から見つけ出して)、
昔の祖父と同じように写真を撮りまくっている。
こういう時、やっぱりこういうのって
血なんだなあ、と思う。
というわけで今日の写真を少し。
この記事を書いて思ったことは、
自分が何かをsnsに載せたからと言って、それを
「フォロワーなら知ってるよね?」
みたいな態度でいるのは、
傲慢以外の何物でもないな、ということ。
人のsnsをそこまで事細かにチェックしているのは
アイドルのファンくらいしかいないだろう。
だから、たかだか一般人の私が
「こないだ書いたから知っているだろうけど」
という態度をフォロワーに対してとることは、
自分のことを過大評価しているにも程があるな、
それって傲慢だよな、と今ふと思ったのだった。
フォローする側に立って考えてみても、
私は仲の良い友人のストーリーでさえも
実際全ては追えていないし、
フィードの投稿に至っては
タイムラインの一番上に流れ着いてくれれば
しっかり見ることもあるけれど、
そうでなければおそらくほとんどのフィード投稿を
見逃している(気がする)。
だから友人に、こないだ〇〇行ってたよね〜!
みたいに話を振るのが苦手なのだ。
snsの前情報があることを前提に
コミュニケーションを進められると
ちょっぴり困ってしまう。
申し訳ないが、誰の投稿であっても
あんまり真剣に見ていないのだ。笑
だから私は、
自分がいくら色んな写真を載せていたとしても、
面と向かって人と話すときには
「こないだこういうことがあってね!」というふうに
相手が何も知らない前提ではじめっから話す、
ということを心掛けている。
最近では友人たちの会話に
ついていけないことも多々あるけれど
(なぜなら本当にちゃんと見ていないので)、
でもそれは私の落ち度というよりも
snsの前情報があることを前提に話す方の
傲慢さが原因だと私は思っている。笑
まあとにかく、今の私はそんなことよりも、
noteで日々の気付きを書くことや
自分の過去の記事を読み漁ることの方が
100倍くらい好きで、笑
最近の私がいつも何をしているかというと、
ずっとnoteの記事を書いているか
自分の過去の記事を読み返しているか、
大抵そのどちらかだ。笑
今の私は、日々感じた色々な感情を
その新鮮な状態のまま閉じ込めて
どこかに残しておきたい、という欲求が
とてつもなく大きくなっている。
私にとって、
自分の、生の感情こそが一番重要なのだ。
他者の評判や口コミではなく。
最近の私はおそらく、
何かを「インストール」することに飽きたのだ。
本や雑誌や、誰かのインスタ等そういうものから
素敵な情報・素敵な考え方を集めるということに
今の私はなんだか飽きてしまったようなのだ。
飽きたというか、
もうそのフェーズは突破した気がする。
素敵な考え方に出会うことは
ものすごく良いことだけど、
結局それは他人の考え方であって
それを自分なりに昇華していかなければ
何の意味もないと思う。
それは、一度本を読んで
全てを分かった気になるのと同じことだ。
「分かる」ことは「知る」こととは違うのだ。
誰かの暮らしや考え方をたまたま見かけて
参考にする程度なら私もよくするけれど、
結局それは他人の人生・他人のセンスであって
自分のものではない訳だから、
それらを見かけたときに安易に
「私も真似したい!」と思ってしまうような
フェーズはもう終わりにしたいのだ。
憧れの誰かの真似をするのではなく、
自分が何を好きか、何に興味があるのかを
色んなフィルターを外した状態で考えること。
他人と重ね合わせてそれらを考えるのではなく。
自分は本当は何が好きなのか?という
心の奥底の生の気持ちを感じ取って
何かを選び取らなければ意味がない、と
最近は強く感じる。
私の人生は私が心から良いと思ったもの、
それだけで構成されていて欲しいのだ。
人生を振り返ったときに、すべてのものに
「自分で選んだ」という称号が付いていて欲しい。
もちろん、
たまには他の誰かの影響を受けることが
あったっていいだろう。
でも、それは参考にする程度で
模倣であってはならないのだ。
だって、それだけでは自分の本当の心の声に
従っているとは言えないから。
インスタで話題のところに行くとか
今話題の商品・昔からの名品を買うとか、
そういうのもいいけど、もう飽きた。
それよりも、
なんとなくだけどここに入ってみたい!とか、
全然有名じゃないけどすごく惹かれる!みたいな、
そういう「本当の自分」を
今は大事にしていきたい時期なのだと思う。
だから私は、
今の自分の心の声をしっかり覚えておくために
声が聞こえたらできるだけ、
その全てを書き留めておきたい。
他人の生活をsnsで垂れ流されていると、
不意に自分の本当の声を
聞き逃してしまいそうになる。
だから、流されないためにも書きたいのだ。
このnoteもそう。
この感情はまさに今の私の生の感情で、
絶対に忘れたくない思いなのだ。
でも、忙しない日々の中では忘れてしまう。
仕事をしていると特に。
だから書く。
もう一気に、ダダダーっと、思うままに、
心の赴くままにいつもnoteを書いている。
明日の私は、明後日の私は、
何を感じて何を書くのだろう。
noteに記事を書くことを通して
私は自分の生の気持ちと向き合うことができている。
そのことがすごく楽しい今日この頃です。
p.s.もしもこんな私の乱文を
ここまで読んでくださった方がいたとしたら、
本当に嬉しいです。
ありがとうございます!涙