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母になった友人と遊んで、「愛」について考える
こないだ、
子供が生まれてから一年ちょっとが経過した
友人とその子供と遊んできました。
そこで私が率直に思ったことを、
忘れないうちにここに残しておこう。
・人間を一人育てるというのは大変だ!
めちゃくちゃ当たり前のこと書いてますが。笑
でも本当にそう思いました。
その日は友人と、私と、友人の子供(1歳半)と
3人でランチしてお茶してきたんですが、
大人2人でランチのカレーを食べている時も
子供はずっと動き回るので、(当たり前だけど)
大人のうちのどちらかは必ず子供を
見ていなきゃいけないじゃないですか。
その日のランチの時は、友人が先に
子供にご飯をあげたりお水を飲ませたりしていて
全然カレーを食べられていなかったので、
途中からは私が子供を膝の上に乗せて
周りに落としそうなものないかな?とか
ぱくって咥えちゃいそうなものないかな?とか
めちゃくちゃ周りに注意しながら
一生懸命カレーを食べたんですよね。
私はこのほんの一瞬だけしか
子供の相手をしていない訳だけれど、
それなのに、こんなに一瞬なのに、
育児ってものすごくとんでもなく、
とてつもなく大変なことだなと思ったんですよ。
だって、こちらが一秒目を離した隙に
何かを飲み込んで喉を詰まらせるかもしれないし、
見えないところで勝手にコケて
致命傷を負うかもしれないじゃないですか。
そんな予測不可能な子供の動きを見張りながら、
親だってご飯は食べなきゃいけないし、
トイレにも行かなきゃいけないし、
身だしなみだって整えなきゃいけないし、
つまり子供が生まれたとしたって
自分たちの「生活」はこれまで通り
続けていかなきゃいけないんだから、
そんな大変なこと、この世の中に他にあるか?
と思ったのです。
これは、子供を育てたことのある人にしか
分かり得ない大変さだろうなと。
こんなことを毎日やっている
世のお父さん・お母さんたちは
本当にすごいし、えらいし、
今日という一日を子供と一緒に
無事に乗り越えられたというだけで
もっともっと褒められるべき、と本当に思った。
子供のことって、育児って、
「あ〜!疲れた!もうや〜めた!」
なんてことが絶対にできないから、
一度生まれてしまえば子供中心の生活になるのは
避けられないんだろうし。
否が応でもこれまでのライフスタイルを
変えていかなきゃならないしね。
だからこそ、すごい。
ましてや子供が複数いる人なんて
本当に神様レベルにすごいと思う。
どんなに聞かん坊でも暴れん坊でも
こちらの言うことを全く聞かなくても、
それでも子供との生活をずっとずっと
続けていかなきゃならないんだから。
もちろん、その対価として
信じられないくらい素晴らしい瞬間を
たくさん経験できるんだろうけれど、
そういう瞬間と同じくらい、
大変なことも死ぬほどたくさんあるのだろう。
それは、子供のいない私には
いくら想像したって絶対に分からないことだし、
子供を産んだ人・育てたことのある人にしか
絶対に分からない領域の話だけれど。
でも、人間の子供はいなくとも
家の中に植物がたくさんあったり
犬を飼っていたりする私からすると、
何かを「育てる」って大変なことも多いけれど
人間のことを恐しいほどに成長させるとは思う。
人が何かを「育てる」とき、
宇宙の不条理さを知るからだ。
だって、どんなに好きでどんなに可愛くて、
どんなにそばにいたいと思っていても、
自分がご飯をあげるのをめんどくさがれば
その分どんどん弱っていくし、
一瞬目を離しただけで
簡単に死んでしまうことも全然ある。
命というのものはとてつもなく尊いが、
ものすごく不条理だ。
ただ、「大好き」「可愛い」という気持ちだけでは
到底やっていけないのが、
何かを「育てる」ということなのだ。
子供がいるとかいないとかで
人間の価値は決まらないけれど、
それでも、子育てを頑張ってる人って、
やっぱり本当に本当にすごい!!!と
心から思った一日なのでした。
(犬を一匹育てるのだって、
父母私の大人三人で取り組んだって
かなり大変ですからね。笑
人間を育てるのをワンオペでやってる人、
本当に心からすごいと思います。尊敬します。
いつもお疲れ様です!!!!涙)
・「愛」とはなんだろう?
そういうことを考えると、愛とはつまり、
どんなにめんどくさくても
どんなに疲れていても
自分の体やメンタルがどんなに弱っていても、
それでもなんとか、どうにかこうにか
「世話をすることを放棄しない」
ということなのではないかと私は思った。
心から大好きと伝えるとか
大切だなあと思ったりそれを言葉にしたりとか、
そういうことよりももっとずっと大事なこと。
それは、植物を育てているなら
どんな日でも毎日淡々と水をやり続けるとか、
犬のお水のお皿には毎日きちんと
綺麗なお水を注いでおくとか、
恋人だとしたら必ず布団をかけてあげるとか、
人間の子供でいうなら
どんなに面倒くさくても必ずご飯を作るとか、
絶対にボロくない服を着せるとか、
つまりそういうことなんじゃないか、と。
愛とはつまり、キラキラした感情ではなく
地味でつまらない「行動」なのだと思う。
育児って毎日そんなことをしてるんだから、
そりゃあ人として成長するわな。
というか、成長せざるを得ないんだな。
親になった友人たちには
改めて尊敬の念しかないとともに、
自分も親からそうやって愛されてきたんだなと思うと
ものすごく温かい気持ちになる。
親だって、毎日試行錯誤しながら
幼い私と向き合ってきてくれたんだなと。
栄養のあるご飯を作って、
ベチョベチョのうんちがついたオムツも
ちゃんと換えてやって、
ヨタヨタ歩きのスピードに合わせて歩いて。
それによって手が汚れて臭くなったり、
服がうんちでベタベタになったり、
誰かとの待ち合わせに遅刻したり。
そういう、ああめんどくさい!
イライラする!手抜きしたい!!
もう全部投げ出したい!!と思うようなところを、
きちっと、
淡々とこなしていくということが、
きっと愛するということなのだ。
愛とは地味でなんでもない普通の行動なのだと
友人とその子供を見ていて思ったし、
自分もおそらくそうやって
育てられてきたんだなと思ったら、
柄にもなく両親にちゃんと感謝しなきゃなと
思ったりしました。笑
あと、まだ喋れない子供って
なんかこう言うとあれですけど笑、
犬から感じるみたいな無償の愛を感じませんか?
これって私だけでしょうか?笑
犬って本当に、
どんなにひどい扱いを受けても人間のことを
基本的には愛してくれるじゃないですか。
まだ喋れない子供にもそんな節がある気がしてて、
友人の子供なのに会うたびに
毎回めちゃくちゃ好きになっちゃうもんね。笑
私ですらこんなにメロメロなんだから、
幼い子供の、誰かを信頼する目というのは
子育てをしてみないと得られない
宝物のような瞬間なんだろうな。
あんな目でなんでも笑ってくれたら、
おばちゃんなんでもしてあげたくなっちゃうよ!笑
でも私のこれは一時的な、
ただの「可愛い」という感情でしかなくて、
これは決して「愛」とは呼べないものだ。
愛とはつまり、
たとえ見返りがなかったとしても、
誰に褒められなくても、感謝されなくても、
いつか裏切られる日が来るとしても、
それでも毎日きちんと向き合うこと、
淡々と世話をすること、なのだ。
友人と子供と三人で遊んでそんなことを考えた、
晴れた冬の週末なのでした。
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