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【休職の振り返り⑨】復職、そしてこれからのこと【完】

休職を機に、一切の仕事をすることもなく、自分のための時間がたっぷりできた。
そう思っていたのも束の間のことで、あっという間に復職予定日が近づいてきた。
変わらず定期的な心療内科への受診に加えて、会社の労務の方々や産業医面談の予定が入ってくる。
久しぶりに他人との接触の機会が増えた。
そして、どこでも言われたのは「最初の頃よりも顔(表情)が良い」ということだった。
自分でもそう思うものの、心身共に万全かどうかはわからない。
むしろ、わからないということはつまり、100%の元気、健やかさ、そういうものが自分の中に戻ってきているわけではないのだ。
でも確かに回復しつつある、それだけはわかる。
だから私は「復職」という選択を選んだ。

社内の人たちから聞いた話によると――わかってはいたものの――休職の最終決定打となったA氏は(当たり前だけど)会社にいる。
そして私は、復職すれば一旦そのチームに戻ることになる。
休職以前と変わらない状況に戻るのであれば、正直これ以上休んでもあまり意味がないと思えたし、生活やお金の不安が募るだけだと思った。
だから復職しようと決意した。
でももし、復職して「ダメだ」と思ったら潔く会社を辞めるか、もう一度休職すれば良い。
そういう逃げ道を作って、私は復職をした。


ここまでがまだまだ暑い最中のできごと、私の休職期間のお話でした。

さて、ご無沙汰しております。
夏頃の休職のこと、そしてこれからのことを綴りたいと思い、はじめたnoteでしたが、気がつけば2024年も残すところ1ヶ月を切っています。

本来であればこのnoteももっと早くに完結していたはずでした。
実際、この記事の冒頭、下線より上はだいぶ前に書いてあり、ずっと下書きに入っていました。
ただ、どうしても書き上げることができなかった。
否、書いた記事を世に公開することができませんでした。
理由は簡単で「軸がぶれてしまった」、ただそのひとことに尽きます。

休職中のできごとは過去のことだったので、事実として綴ることができました。
が、休職中に考えていた私の未来のことと復職しながら考えた私の未来のことが大きくぶれ、確固たるものではなくなっていったのを日々感じていました。
確固たるもの、別の言い方をすれば「自信がなくなってしまった」のだと思います。

下記もこの記事の下書きとしてずっと眠っていた文章です。


私は今、現在進行形で以前と変わらず、そのまま会社で働いています。
変わったことといえば、組織体制の変更に伴い、私は所属していた部署から離れました。
一切の、というわけではありませんが、A氏とはほぼかかわりなく仕事をしています。
ただ離れたことにより、自分がずっとやっていたクリエイティブ職から少し遠くなってしまいました。

周りの方には「これからキャリアのことを考えると早めに転職をした方が良いんじゃないか」と言われました。
元々やっていた業務から離れている期間が長ければ長いほど、仮にどこか転職するとなったときに「この期間は何をしていたの?」とつつかれるでしょう。
確かにそうだと思います。
それに、休職期間と復職を経て、「この会社には長くいられないだろうな」「楽しく、生き生きとは仕事ができないな」と感じました。
だからきっと、何十年とはいられない、いないんだろうなと思います。

そういう考えに至り、私はずっと、自分の未来を考えています。
自分が死ぬ間際、自分の人生を振り返ったときに「悔いがない」と思えるように。
そんな生き方をするために、どうしたら良いのだろう、と。
そう考えたとき、自分の生き方に対して「言い訳をしている」「嘘をついている」「正直ではない」と思ってしまったら、きっと悔いが残る気がします。
すなわち、自分の考えや思いに素直で正直でいること、「これが良い」「これが素敵」「これが楽しい」など、簡単に言えば「自分のやりたい」と思えることをしたい、そう考えています。
もちろん、自分のやりたいことがいつでもできるわけではないことは今までの人生の中で嫌というほど知っています。
だけど「これが良い」「これが素敵」「これが楽しい」、そんなポジティブな感情へ向かう努力は嫌いではないし、信じることは私に力を与えてくれることも知っています。
だからこういう未来に向かっていかなければと、今色々と考えているところです。
具体的には、

  1. ものづくりが好きだからこれは続けたい
    サービス、プロダクト、料理や服飾など、ものづくりを通じて、自分の手で仕事を回していきたい。もしくはお店を持ちたい。

  2. 肯定的な居場所を作りたい
    幼少期からの経験や自身が現在ノンバイナリー・チャイルドフリーなどの生き方を選択しているという事実を踏まえて、誰ひとりとして同じじゃない誰しもを否定しない、寄り添う・肯定する・ただそこに存在するような居場所があったらいいなと思い、そんな場所(サードプレイス)や環境を作りたい。

  3. 世界に興味がある
    歴史や文化、私がまだまだま知らない世界のことを知っていきたい。そのために語学を勉強したい(勉強中)。

これらが今の私の中にあります。
まだまだ抽象的な未来像ですが、自分の心身を整えるのと同時進行でやりたいことを書き出し、それをこなしながら自分の理想の未来像を具体的なものへと落とし込んでいきたいと思います。
それこそ、ジャーナリングが役に立っています。

昔は自分の感覚を信じて、自分が楽しいと思えることをひたすらに追いかけて邁進していくような人だったのになあ、と最近よく考えます。
その感覚がここ数年ぱたっと感じられなくなったのは、落ち着いたからなのか、なくなったのか、心身が元気じゃないからなのか。
どれが理由かわかりませんし、もう昔みたいにはなれないのかもしれません。
昔のような快活さはもう得られないかもしれませんが、それでも「好ましい」と思える感覚はまだ自分の中にあります。
それを手繰り寄せ、自分の生きる指針にしていきたい。
そんな風に思った休職期間、そして今現在なのでした。


上記のように綴った当時の考えや気持ちと今のそれらに、大きく相違はありません。
特に1~3に挙げた「ものづくり」「肯定的な居場所を作りたい」「世界を知りたい」は今も私を支えてくれる思いや考えです。
ただ、これを綴った当時よりはその思いが考えが弱まっているように思えます。

復職して「この会社に長くはいられない」と思う気持ちも変わらずあるのですが、これを綴っている間にいくつか体の不調や症状が発覚。
それらと向き合っていると「今時点ではしっかりとした会社にいなくてはいけないのかもしれない…」と考えるようになりました。

以前に比べて心がマイナス方面へと急激に落ち込むことは減ったものの、楽しいと感じることや生き生きとした活力のようなものも減り、体の不調も相まって、そもそも気が弱まっているような、日々そんな感じです。
なので今は、自分自身の心だけでなく体ともしっかり向き合って、弱くなってしまった自分の基盤をしっかりと立て直すことに注力しています。

最初にnoteを書き始めたころは、この完結編の記事に向けて、確固たる信念と志があったのになあ。
夏の頃を思い出すと、自分自身の意志の弱さが恥ずかしいやら情けないやらなのですが、それを宙ぶらりんにしていると余計に弱くなってしまいそうだと思ったため、今年が終わる前に一旦は区切りをつけようと記事を綴っている、そういう次第です。

もちろん、弱くたって、恥ずかしくったって、情けなくたって良い。
どんな私も、紛れもなく私なのですから。

昔のような快活さはもう得られないかもしれませんが、それでも「好ましい」と思える感覚はまだ自分の中にあります。
それを手繰り寄せ、自分の生きる指針にしていきたい。

秋ぐらいの私より

弱気になっても、体の調子があまりよくなくても、上記の考えは変わらず私の中に息づいている。
それを絶やさないように、私はまず私を大切にして、これからも無理せず生きていこうと思います。
そして「これだ!」と思ったものが見つかったら迷わず掴んで、思い切り楽しもう。
限りある人生を後悔と否定にまみれた人生で終わらせないように。

***

長きに渡って綴ってきた休職振り返りをこれにて区切りとさせていただきます。
今までご覧いただいたりスキを送ってくださたったり、本当にありがとうございました。
それらの事実がなければ、もっともっと早くに弱気になって、途中で放り投げていたと思います。

これからも私の日々は続いていきますが、まずは無理せず生きていこうと思います。
その中でまた何かnoteとして綴りたいことが生まれたら、記事にできればと思います。
その際は、そっとあたたかく見守っていただけますと幸いです。

本当に長い間、ありがとうございました!
またどこかで。

2024年12月2日 スズ