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【休職の振り返り⑤】救われた言葉

私の休職の原因は、幼少期から母との間に形成された私の心と考え方のせいなのではないか。

しんどい身体でそう至った私が次に考えたのは、「ならばその心と考え方を治すにはどうしたら良いのか?」だった。

A氏や母親を避けて生きていても、この世界には色んな人がいて、きっと似たような人間はごまんといる。
この先の人生でそういう人と対峙したとき、このままの私でいたら、きっとまた同じ苦しみや傷を抱えてしまう。
私は一生そんな風に生きていくのだろうか?
そう思うと怖かった。
そして、そんな心や考え方を持っている自分が人間として未熟で不完全のように思えた。
だから私の心や思考をどうにかして治したい、そう思った。

自分なりに原因を特定した。
そしてこの先、また自分の何かを否定されても、大きなショックを受けないように、苦しみと傷を負わないようにしたい。
何より、他人は変えられない、だけど私自身は変えることができる。
それなら私の内面を治さないと。
だけど、治し方がわからなかった。

母と対峙すれば良いのだろうか?
今まで私が募らせてきた想いを向けて、母との間でこんがらがった糸を解けば良いのだろうか?
……母はきっと私の言葉を少しも理解しないだろうな。
むしろそんなことを考えていた私に対し、罵声を浴びせ、泣いて非難するんだろうな。
治し方に考えを巡らせていると、そんな母の姿が容易に想像された。同時に恐怖も覚えた。

まだ何もしていないのに、頭の中で完結してしまった。
でも、それならどうしたら良い?
私は一生こんな未熟で不完全なまま、生きていかなくてはならないのか。
そんなの、ちっとも穏やかじゃないし、健やかでもない。

数日間苦しみ続けた私は踏ん張ってしんどい身体を起こし、何とか心療内科の予約を取った。
私ひとりではもう無理だった。
苦しみの先の出口が見えず、解決策がわからなかった。
だから先生に助けてもらおうと必死だった。


数日後、心療内科を訪れた私は、先生に母との関係を話した。
先生は私の話をただただ聞いてくれた。
震える声で、たどたどしくも、幼少期から実家を出るまでの話をし、「今回の件と関係あるのではないか」「だからどうにかして解決したい」と先生に伝えた。
すると先生は、

「確かに今回、ショックを受けたこととお母さまの件は関係するかもしれません。
でも、向き合わなくて良いです。
もし向き合うとしても、今ではないです」

と言った。
先生が言うことはこういうことだった。

  • 母親と対峙しても、それこそまさに「他人は変えられない」で、私がこう思っていた、こうだったと伝えても母親(他人)は変わらないのだということ。

  • 変わらなかったとき、ショックを受けるのは私であること。

  • 今の私は、そのショックを受けるべきときではないということ。

先生は付け加えて、
未熟でも不完全でもないですよ
と言ってくれた。

私は今まで、自分にとっての欠点やマイナスな点があると、それだけで「私」という個人がまるっとダメなのだと思っていた。
そしてそれが完璧主義のような形で表れ、自分自身に「ダメなところは治せ」と働きかけていたのだと思う。
でも先生は、そんな完璧な人はいないし、例え親子だろうが相性が合わない関係もあるし、嫌なことや人と無理に向き合わなくても良い、と言ってくれた。

親子なのだから仲良くしなくてはいけない。
問題があるなら向き合わなくてはいけない。
そう考えていた私にとって、「向き合わない私」を良いと肯定してくれる先生の言葉が衝撃的だった。
でも同時にほっと安心できて、強張っていた全身の力が一気に抜けた気がした。

「今は向き合わなくて良いんだ…」
「はい」

先生は最後にそう言って、私を見送ってくれた。


向き合わないことは、私がこれから先、また私を否定されたときに受けるショックや苦しみの耐性や受け流し方が得られないことではあるのだと思う。
だけど、向き合ったからと言って、私の過去の傷が完治することもなければ、耐性や受け流し方を得られる確証もないのだろう。
それよりも私がすべきことは「今の自分」を癒すことであり、「今の自分」を見てあげることなのだ。
過去の私のことを憂うことでもなく、未來の起こるかどうかもわからないことの対処法を用意しておくでもなく。

今回の受診も、いつも過去ばかりを見ては後ろ向きで、未來のことばかり見てはあれこれと予防策を張り巡らす私らしく、結局自分自身もすぐには変わらないのだと苦笑いした。
でも先生が「向き合わなくて良い」と言ってくれたことが、私にとってのお守りのような言葉になったのは間違いない。

今回の受診では、当初の目的は達成しなかった。
でも私の身体は来るときよりも軽い。
もちろん心も。
それで良いのだと、私は思えた。

帰ったらご飯を食べて、本も読めたら読もう。
それから今の自分のためにできること、今の自分をもっと心地良くできることはないかな。
私が日々、楽しく過ごせるために、何をしたら良いかな。
そういうことを考えていこうと改めて思ったのだった。