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【休職の振り返り①】経緯

noteをはじめたばかりのスズと申します。
本日は立て続けにもう一本、投稿させていただきます。
自己紹介の記事でも書かせていただいた「休職」、その経緯についてです。


休職する少し前のこと

それは休職を決める少し前の、とある日の朝。
起床後、自室からリビングへ向かおうとベッドから抜け出した瞬間に眩暈でふらつく感覚があった。
起き抜けに眩暈がすることは今までもあって、いつもは壁などにもたれかかってことなきを得ていた。
でもその日は壁にもたれかかるよりも前に、意識が一瞬飛んでしまい、そのまま倒れてしまった。
倒れ方が良かったのか、頭や首、背中、腰などの特に身体の重要な箇所を打ったわけではなかったけれど、全体重を臀部で受けて「いててて…」な状態に。
それでも仕事はできそうだったので、あれこれと準備を整えた数時間後、その日はリモートで業務開始。
部内の人に朝のできごとを話すと、周囲の勧めもあり、なんやかんやで結局病院に行くことに。

さて、どの病院を受診しようか。
病院を検索しながら思案していると、「朝、起きぬけの眩暈」が自律神経の乱れによる症状だという記事がいくつか出てきた。
以前から睡眠の悩みで自律神経の乱れには自覚があり、それならば心療内科を受診してみよう。
そう思った私はすぐにGoogleマップで生活圏内の口コミが良さそうな病院を調べ始める。
するとネット予約ができて、良さそうな病院があったため、そこで当日予約を入れてから痛む臀部をさすりながら私は家を出た。

病院はとても静かで居心地の良い空間だった。
予約を入れていたおかげもあってスムーズに診察室へと通され、先生と初対面。
朗らかで優しそうな先生に朝一に眩暈で倒れたことに加えて睡眠の悩みを話し、まずは漢方薬からということで合意し、その日は帰宅した。
幸いにして骨折などの症状もなく、臀部も痛みも数日で引き、眩暈は薬で改善されたような気がした。
でも睡眠は相変わらずだった(ちなみに途中覚醒してしまうのが悩み)。

仕事をする上での悩み

自律神経の乱れに悩まされていた一方で、私には別の悩みもあった。
それは同部署に数か月前から入ってきたA氏との対人関係だった。
A氏は元々、私よりも一つ上の役職になる前提で入ってきた人だったのだが、初対面の時点で「あ、多分私とは(相性が)合わない人だ」という直感があった。

私は昔から他者に対する察知能力や直観力がある方だと自覚していて、それが外れたことはほぼない。
だから最初の時点で、何となくモヤモヤしていた。
でも一応は社会人ということもあり、A氏ともちゃんと仕事をしようと何とか自分を律していた…が、A氏と仕事をしていると、良いところよりも悪いところがさまざま目につくようになり、最初に感じた感覚が払しょくされることはなかった。
そしていつしか、オンオフかかわらず同じ場にいることも厳しくなり、かなりのストレスを感じるようになっていた。

A氏にかかわらず、これまでも苦手な人・嫌いな人がいなかったわけではない。
でも生きている以上、そういう人とも何とか上手くやっていかなければならないときがある。
だからその対処法として、意識を向けないようにしたりだとか、最悪自分の世界からいないものと考えるようにしたりだとかして、何とかやっていた。
それなのになぜか今回はどれもこれも上手くいかず、ストレスが溜まっていく一方。
さて、どうしよう、この人とどうやって仕事をしていったらいいのか…。
考えても、何をしても、どうにもならない日々。
ついに自分の中で抱えることができなくなり、友人に相談したり、友人しか見ていないクローズドなSNSの場で愚痴をこぼしたりするようになった。
そのたびに友人たちから励まされ、何とか仕事も続けられていた。
だけど、徐々に私の状態が傍から見てちょっと変だぞと感じ始めた長年の友人から「仕事休んだら?」と言われるようになった。

休む? 休むとは、休職のこと?

もちろん制度的には知ってはいたものの、当時の私は「こんな超個人的なことで?」と思っていて、休職という選択肢自体が頭になかった。
むしろ、自分の生きる価値を100%仕事に据えていた私は「休んだら私が生きている意味も価値もない」と思っていて、休職するなんてと思っていた。
そう考えていた矢先、前段でも書いた通り、朝一で倒れた私は心療内科に通い始めた。

薬の経過観察のために再診する予定になっていた私は、「休職とまではいかないものの、仕事上での対人関係について先生に相談したら気分も落ち着くかもしれない」と考え、先生に話すことにした。
そして初診から二週間後の再診日当日。
薬の経過について話したあと、仕事上での対人関係について先生に切り出した。
すると涙が話しながらどんどんあふれてきて、こんなに泣いたのはいつ振りかわからないほど号泣していた。
私が話し終えると先生はいろいろと気遣ってくださり、そして最後に「休んだ方が良いと思いますが、診断書をお書きしましょうか…?」と言った。
心療内科の先生までそう言うのに、私はその場で「お願いします」とは言えなかった。
今の対人関係のストレスよりも、仕事を休むことが怖かったのだ。

その日は「考えてみます」と濁して帰宅した。
休むつもりは全くなかった。
小さなミスを起こしたり、思考回路が回らなかったり、集中力が下がり続けても仕事を続けた。
それらの原因の大半は睡眠があまり取れないせいで、A氏との対人関係によるストレスはまあ人としてのあるあるぐらいだと、何とか思い込もうとしていた。
その数日後、とあることが起こった。

休職を決める

詳細は業務上の機密等があるために書けないのですが、その日は週一で行われる部署での定例会があった。
各々の最近の業務トピックスを話していた中、私が話した内容に対し、A氏からあれこれと突っ込まれたあと、最後に「(私がやったことは)無意味ですね」と言われてしまった。
今振り返ってみれば、相当きつめの叱責に近いトーンで言われたのだが、その当時の私は、自分自身が仕事でやったことを「無意味」と評価されたことが、人生の仕事における何よりもショックだった。
定例会が終わったあと、仕事の続きをしなくてはならないのに身体が動かなくなってしまった。
頭では「仕事、仕事…」と思っているのに、身体が言うことをきかなくて、結局その日をどう過ごしたのかあまり記憶がない(今の私が振り返っても、その日どころか、その周辺の記憶もあまりないのだ)。

覚えているのは、数日後の心療内科再診で「休みたいので診断書をお願いします」と先生にお願いしたこと、そして「休む決心をしてくれて良かった」と先生に言われたこと。

私は「適応障害と抑うつ状態」だと診断され、休職することになった。