読書感想:日本の自殺(第一部その3)

日本の自殺、第一部まとめその3。
これにて第一部まとめは完結。
(過去分:その1その2

今回は情報化社会の代償(副反応)について。

部分まとめ

思考力、判断力の衰弱による品質の悪い情報は、我々の生活に満ち溢れ、「情報汚染」を惹き起こす。
情報汚染は濃厚凝縮され、これを受けた人間の一部は幼稚な狂信者になりうる。
我々の周囲には、非科学的で、センセーショナルな情報の大量氾濫が引き起こしたトラブルが急増している。
これらのトラブルは、大衆が粗悪な、質の悪い欠陥情報に汚された結果、一種の集団ヒステリー症状に陥る事によってもたらされている。

現代社会における情報汚染、思考力・判断力の衰弱をもたらすのはなぜか。

そのメカニズムと特質を以下のように考察する。

・間接経験の増大
経験全体に占める直接経験の割合が相対的に低下し、マス・コミュニケーションの情報を中心とした、関節経験の比重が飛躍的に増大した。
これにより、各個人の経験世界が、大きく他人の経験に依存するようになった。

これが人間に与えるインパクトは極めて深刻かつ複雑である。
みずからの直接経験を通じて直接/間接経験の対応をつけたり、妥当性を検討することが一層困難になり、大量の間接経験のバラバラな断片を相互に関連付けて一つのトータル・イメージを合成することがますます難しくなっている。

マスコミ情報はあまりにも混沌として、脈絡がなく精神分裂症の様相すら呈している。
他方で、マスコミの提供する膨大な情報によって見せられている、世界の安直なトータル・イメージは情報の質が悪いと現実世界とは似ても似つかない虚構の世界となる危険がある。

人間の視界を拡大し、その知力を高めるために作られたはずのマス・コミュニケーションによって人間が騙され、知力を低下されられ、真実の視界を妨げるという皮肉な現象が生ずる。

・情報過多に伴う問題
高速に流れる大量情報が、人間の脳の情報処理速度を大量に上回った場合、人間はしばしば情報過多によって神経的症状に陥る。
(これについてあまり詳細を記されていない)

・情報の同一性、一時性
社会変化、情報の流れが速くなると、人間と情報との関係がきわめて一時的なものになる。
新奇な情報を極端に求める傾向が強まり、情報を使い捨てる傾向が極端になる。
大量高速情報から事故を防衛する一つの安易な適応方法は、忘れっぽくなること。
歴史的な連続性の感覚を喪失して刹那主義的な生き方になってくる。
こうして、一時性の情報環境の中で深い人間的感動を伴う経験の昇華の余裕のないままに、浅薄な好奇心だけが肥大化させられ、人間は精神的・情緒的安定を失って「いま」をうわべだけで追い求めるようになる。

・情報受信と発信の極端なアンバランス
一方通行のマスコミの受け手である民衆は、伝達される大量情報の応接に追いまくられ、いわばその受信機を四六時中フル稼働していた。
それに対して発信の機会は著しく少ない。
本来、人間の思考能力や創造性は受信と発信の反復を通じて初めて可能となるものであるが、この思考プロセスをじっくり通過させないために、短絡型の、論理的思考力のない人間が量産されてくることにもなる。

・異常な事件や出来事に関する情報が大量に流布される
視聴率取りのために、異常現象を極端に拡大して見せつけるメカニズムが肥大化し、結果、マスコミは異常な、虚構の世界を作り上げることとなり、国民の欲求不満を異常に高めることとなった。


こうした情報化の様々な代償は、思考力、判断力を衰弱させ、情報性を喪失させ、幼児化と野蛮化の社会病理を拡大させ、日本社会の自壊作用を強めるのである。

感想

「情報汚染」というのがパワーワードでいいですね。

世間の、テレビをはじめとするマスコミへの信頼度はまだまだ高い気がするが、思っているより、ずっとずっとデタラメでインチキなものであるのだろう。

情報社会の代償(副作用)について。
「間接経験の増大により、人間の知力を高めるために作られたはずのマス・コミュニケーションによって人間が騙され、知力低下につながっている」
というのはなるほど&ビックリ。
その他にはなんとなく元々イメージしていた事項もあったが、整理できてよかった。


今まで分も遡る。
以下の相互作用で、日本社会は自壊の道を歩んでいる。
というのが本書第一部のまとめである。

1、「気概、プライド、芯の喪失」「迎合する」「執着、依存する」「自己満足的で抑制しない短絡的な行動をとる」
これらにより、個人がダメになり、ひいては社会もダメになりつつある。

2、便利になって知識が増大したように見えるものの、それは表面的であり、「生きる力」とでも言うべき能力が、昔の人より衰退している。

3、情報社会の代償(本記事)


1は割と個人問題なので頑張ればどうにかなりそう。
2と3は社会全体の大きな流れであり、個人の努力(自戒)により、個人の毒されるスピードを遅める、くらいならできるか。。

いずれにせよ、1984年でこの結論を出せているのはすごい。
とんでもない本でした。

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