私がラジオリスナーになった夜
私はラジオリスナーである。不定期で聴いている番組も含めれば、おそらく、週に30時間以上は聴いていると思う。例えば、大学の課題に取り掛かっているとき、電車で通学しているとき、食事をしているとき、自炊をしているとき、ネットで調べ物をしているとき、ゲームをしているときなど、静寂の入り込む隙を与えないほど、ラジオを聴いている。傍から見たら、生活の中にある余白を埋めるようにして、ラジオの世界に浸っているように映るかもしれない。
ただ、ぼんやりと考え事をしたいときなどは、ラジオのスイッチはオフにする。それでも空いた時間にはラジオに手を伸ばしていることが多い。イヤホンからは、ラジオパーソナリティーたちの笑い話や苦労した話、雑学や最近のゴシップ、ネタメールのコーナー、合間に流れる音楽、メールを送ってくるハガキ職人たちのリアクションなど、その他にも様々な情報が流れてくる。テレビとは違って、聴覚のみの情報なので、頭の中には想像の世界が広がっていく。空想を追いかけて、現実に耳を傾けているような感覚が心地よい。
このように熱心なラジオリスナーであると自負している私がラジオに出会ったのは中学生の頃だ。母に誕生日プレゼントで買ってもらったウォークマンの中にラジオ機能が入っていて、何とはなしに聴き始めたのがきっかけだった。しかし、そこからラジオにハマっていったわけではなく、最初は「ラジオを聴いている自分かっこいい」という感覚で聴き始めた。そのため、特定の番組を好きになるということはなく、ひたすらFMの音楽系番組を聴いていた。自分が知らない音楽を知ることができるのは興味深かったが、このときはまだラジオリスナーではなかった。なぜなら、私がそのとき、熱心に聴いていたのは、「ラジオ」ではなく、「音楽」だったからだ。
そんな私は高校に入学すると、学生寮に入った。そこで私はある人物と出会うことになる。
「君、ラジオ聴くんだ」
まだ寮に入って間もない時期で緊張していた私のもとにその人物は現れた。彼はアロハシャツに身を包んでおり、長い髪を後ろで結んでいる特徴的な外見をしていた。それが、カクタ(仮名)とのファーストコンタクトだった。
私が当時使っていた小型ラジオを見て期待の眼差しを浮かべていたカクタだったが、私が純粋なラジオリスナーではないことを知ると、少し黙ってしまった。狭い室内にはしばしの沈黙が流れ、私が焦って口を開きかけようとしたとき、カクタは「芸人さんのラジオも是非聴いてみて」と言って、部屋を出て行ってしまった。それから、しばらくは彼の助言を頭の片隅に置いて生活していた私だったが、高校生活にも慣れ始めてきたある日、カクタが再び私の部屋を訪ねてきた。
ノックの音に扉を開けると、そこには段ボールを手に抱えたカクタが立っていた。私が「それは何か」と尋ねると、彼は「あげるよ」と言って、段ボールの中からお菓子を手渡してくれた。聞くところによると、「ラジオ局から送られてきたノベルティ」とのことだった。そこで私はハガキ職人の存在を知り、目の前の彼がそれに該当することを知った。現在でも、カクタのラジオネームは知らないが(聞いても教えてくれない)、その後も彼のもとには時折ノベルティグッズが届いていたので、もしかしたら有名なハガキ職人なのかもしれない。
そんなカクタの影響で、私はお笑い芸人のラジオを聴いてみることにした。最初に選んだのは、「オードリーのオールナイトニッポン」。
「おっ面白い!」
若林さんと春日さんの軽快なトークにすぐさま心を鷲掴みにされた。ルームメイトの寝息が聞こえるいつもの夜、暗い室内でイヤホンをしながら、腹を抱えて笑っている私がいた。これまでラジオをつけると、ひたすら「音楽」だけに耳を傾けていた私が、初めて「トーク」に引き込まれた瞬間だった。
そうして、晴れてラジオリスナーとなった私はそれ以降、カクタとのラジオ談議に花を咲かせることになった。同じラジオを聴いているリスナーというのは、不思議と絆が生まれるものだと思う。性格も全く異なる私とカクタがラジオを通して、話を弾ませたように、リスナーというのは、ラジオに浸っている間、同じ時間を共有している。様々な人々が日頃の不安や葛藤、喜怒哀楽の感情を抱え、ラジオを聴いている。複雑な空の下でもラジオを聴いている間は「一人じゃない」と思わせてくれる。それがラジオの醍醐味の一つだと思う。
最初に述べたように私は週に30時間以上ラジオを聴いている熱心なリスナーである。そのため傍から見たら、生活の中にある余白を無理やり埋めようとしているように映るかもしれない。しかし、それは違う。なぜなら私は空白の時間が好きだからだ。忙しない日常生活の中で「何もしない時間」というのは、誰にとっても貴重なものである。私はそういう時間を大切にしている。決して、空白を埋めるためにラジオを聴いているのではない。では、なぜ長時間ラジオを聴いているのか。
それは、ラジオが私の生活に彩りを与えてくれていることを知っているからだ。カクタの影響でラジオリスナーとなったあの日の夜から、私は常に「面白い」を求めている。その欲求をお笑い芸人をはじめとしたラジオパーソナリティーたちが叶えてくれる。日常生活の中で不安や葛藤に駆られることがあっても、ラジオの向こう側には面白い世界が待っていることを知っている。そんな想いを胸に今日も私はラジオのツマミを捻るのだ。