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平日昼間の大人10人ピクニックで気づいた、ゆとり時間の過ごし方

家族連れもまばらな金曜日の午後。
芝生が広がる公園。

大人10人でピクニックをした。


集まった10人は「同じWSを別の時期に受けた人たち」というゆるいつながり。

気心知れた人も、初めましての人もいたけれど、「絶対可愛くなれちゃうWS」という内観ワークショップに参加した共通点のおかげか、距離を縮める会話も穏やかに進む。


笑いや感嘆の声が、雲ひとつない秋晴れの空に吸い込まれていく。


こういう時間の過ごし方ってあるんだ。
こんな時間の過ごし方をもっともっと増やしていきたいな。


そう思える、満ち足りた時間だった。






最近、「効率的」という言葉がとても気になっている。

そのワードを見たり聞いたりすると、脳内センサーが反応する。


それは私が、効率的に物事を進めていくのってめちゃくちゃ大事だと思ってたのに、実は自分を苦しめている要素の一つなのかもしれないと気づいたから。


このnoteに書いた「進研ゼミの呪い」は、まさにその根っこだった。



その根っこに気づいてから、自分なりの「効率」について考え続けている。





以前、友人が教えてくれた脳科学の本の話を思い出した。「スコトーマ」の話だ。

スコトーマとは、心理的盲点のこと。

興味のない情報はスルーしてしまう、人間の脳の働きを指すのだそう。

逆にいうと、興味のあることは目につくし、耳に入ってくるってことだ。


私は今、「効率」という言葉に興味があるから、無意識のうちにそれを拾ってしまうし、引き寄せやすくなっているのだと思う。

なんでそんなことを感じているかというと、先月友人が貸してくれた本が、今の私にぴったりだったから。そして読むタイミングも、「私天才かしら?」と思うくらい抜群のタイミングだった。





各地の大型書店で平積みされているらしいので、読んだことがある人も多いかもしれない。

私は本屋が好きというわりには、足を運ぶエリアが限られているせいか、もしくは漫画コーナーと絵本コーナーに散らばる子どもたちを行方を気にしているからか、はたまたスコトーマ理論で目に入っていてもスルーしてたのか、本屋でこの本を見たことがなかった。




貸してもらって2週間ほどしてから、「そういえば…」と思い出して、本を手にとり表紙をめくると、衝撃的なプロローグのタイトルが目に飛び込んできた。



「効率よく生きたいのなら、生まれてすぐ死ねばいい」








効率よく考えるのであれば、生まれてすぐ死ねばいい。
人はいかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きているんだよ。
お前の心のゆとりはどこにあるんだ?
お前の幸せはいったいどこに行ったんだ?

今日、誰のために生きる?



この言葉は、アフリカのタンザニアにあるブンジュ村の村長の言葉だそうです。


無駄な時間を楽しむ。



これは、私がずっと避けていたことだった。

いや、避けていたというより、やりたいと思っているのに、やり方がわからなかった。

「ボーッとするってどうすればいいんだろう?」なんて、よく考えていたから。



時間は有限だから、切り詰めて、切り詰めて、効率よく物事をこなしていく。空いた時間で好きなことをする。それがずっと私の中にあった正解だった。

でも、効率をよくすると「こなして」しまう。作業になってしまう。

作業に感情はいらない。

感情を動かさないように、作業として、淡々と行うことが効率的だと思ってたけど、そんなロボットみたいなこと、できないし、したくない。

心の片隅でずっとそんな風に思っていたことにも気づいた。




「効率」の反対語を辞書で調べたら「非効率」って出てきた。そのまんまかい。

言い換えると「無駄」。

でも「非効率」も「無駄」も、ネガティブな意味がついてまわるから、快く受け取りにくい。なんだか皮肉を感じてしまう。


だったら、好きな言葉に言い換えよう。素直に受け取れる言葉にしよう。

浮かんできたのは

空き時間、休息、スペース、隙、隙間、ゆとり、余白、余裕、たっぷり、ゆるゆる



うん、これなら受け取れる。



「効率的」という観点でみたら、平日昼間に大人が公園でピクニックなんて、非効率なのかもしれない。

しゃべったり、ランチをするならカフェでやればいい。
お弁当を頼んだら、それを公園まで運ばないといけないし、レジャーシートをもっていかないといけない。
雨が降ったら寒いし、濡れちゃう。

確かにそうかもしれない。

だけどそういう、ピクニックのための準備時間こそが、今の満ち足りた気持ちにつながっている気がする。


「みんなに会いたいから、ピクニックしよう」という、純粋な気持ちがきっかけで実現したこの時間は、発売を待ち侘びていた漫画や雑誌を読んだ後のような嬉しさがあった。 

想像以上に楽しかった。

目を細め、手をかざしながらも見上げずにはいられない秋の青空と、体に流れ込んでくるひんやりとした澄んだ空気。

芝生に寝っ転がったり、素足で歩いたり、空に向けて手足を動かす赤ちゃんにみんなが笑顔になったり。

フタを開けた瞬間に歓声の上がるお弁当、今日参加できなかったケーキ屋さんを営む子からの差し入れのパウンドケーキ、水筒に入れてきてくれた温かいマルコポーロの紅茶、みんなが持ち寄った色とりどりのレジャーシート。



それぞれが持ち寄った品々に、予め決まっていたものなんてほとんどないけれど、全て予期したかのようにパーフェクトだった。

「楽しい時間を一緒に過ごしたいな」という想いがあって、それぞれが行動した結果だったから、こんなにも満ち足りた気持ちになれているのかもしれない。



ゆるむから、感じられる気持ちがある。

隙があるから、好きになる。

そして、余裕と余白があるから、感情を味わえる。

そんな気づきに満ちた時間だった。





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CHIHIRO|フィンランド好きの物書き
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